「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」の「竹の間の場」は、家督を継いだばかりの幼君・鶴千代の身を案じる乳人・政岡が、見舞いに訪れた敵方の女性たちから、じわじわと罠を仕掛けられる緊迫の一幕です。
刀を交えることのない、女性たちだけの心理戦が繰り広げられる、静かな緊張感が魅力の場面です。
派手な立ち回りのない分、せりふのやり取りに込められた駆け引きをじっくり味わえる一幕でもあります。
この記事では、「竹の間の場」のあらすじ・見どころ・登場人物を、初心者にもわかりやすく解説します。
作品全体のあらすじや他の場面については、こちらの記事もあわせてご覧ください。

竹の間の場とは?作品の基本情報
「伽羅先代萩」全六場のうち、「竹の間の場」は、「花水橋の場」に続く場面で、「御殿の場」の直前に位置づけられます。
頼兼が隠居させられ、幼い鶴千代が家督を継いだ直後の御殿を舞台に、政岡がすでに敵方から目をつけられ始めている緊迫した状況が描かれます。
華やかな立ち回りのあった「花水橋の場」とは打って変わり、御殿の奥深くを舞台にした静かで息詰まる人間関係の駆け引きが中心となります。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作品名 | 伽羅先代萩「竹の間の場」 |
| 主な登場人物 | 政岡、鶴千代、八汐、沖の井、女医者・小巻 |
| 舞台 | 足利家御殿の竹の間 |
| ジャンル | 時代物(丸本物) |
| 後に続く場面 | 御殿の場 |
直前の場面である「花水橋の場」のあらすじについては、こちらの記事で詳しく解説しています。

あらすじ|脈診断に隠された罠と政岡の機転
「花水橋の場」の後、足利家の当主・頼兼はついに隠居を命じられ、まだ幼い嫡子・鶴千代が家督を継ぐことになります。
これを好機と見た仁木弾正一味は、幼君・鶴千代の暗殺を画策し始めます。
頼りとなるべき当主が隠居させられ、代わって幼子が家督を継ぐという状況は、御家にとってこの上ない弱みであり、弾正一味にとってはまたとない好機だったのです。
幼君の家督相続という表向きの慶事の裏側で、すでに陰謀が動き出しているという構図が、この場面の緊張感を静かに高めています。
身の危険を察知した乳人・政岡は、「鶴千代君は男子を嫌う病にかかっている」という名目を掲げ、若君の周りを女性だけで固め、御殿の奥深くにこもって、わが子・千松とともに鶴千代を懸命に守っていました。
男性の家臣を遠ざけることで、暗殺者が紛れ込む隙をできる限り減らそうという、政岡なりの苦肉の策です。
そこへ、病気見舞いと称してやってきたのが、仁木弾正の妹・八汐と、田村右京の妻・沖の井(おきのい)でした。
沖の井が用意させた食事を勧めますが、鶴千代は口をつけようとしません。
幼いながらも、鶴千代自身がどこか警戒している様子がうかがえます。
すると八汐は「それならば医者に診せた方がよい」ともちかけ、女医者の小巻(こまき)を呼んで鶴千代の脈を取らせます。
小巻は最初、「これは必死の脈にございます(=助からない病の脈です)」と告げます。
しかし場所を変えてもう一度脈を取らせると、今度は「ご平脈にございます(=健康な脈です)」と正反対のことを言い出すのです。
同じ人物の脈を、同じ日に、二度取っただけでこれほど異なる診断が下されるはずはありません。
この不審な様子に、その場にいた者たちの視線は自然と天井へと向けられます。
八汐が長刀(なぎなた)で天井をひと突きすると、黒装束の曲者(くせもの)がどさりと落ちてきます。
曲者は「政岡に頼まれて鶴千代を殺すよう命じられた」と自白し、八汐はその証拠として、鶴千代を呪う文言が記された願文(がんもん)を突きつけます。
絶体絶命の窮地に立たされる政岡でしたが、そこで進み出たのが沖の井でした。
沖の井は、天井の隙間から都合よく曲者が落ちてくること自体が不自然であると指摘します。
さらに、本当の依頼主であれば、証拠となる願文にわざわざ自分の名前を書き記すはずがないと、理詰めで反論します。
この的確な指摘に、八汐は返す言葉もなく、曲者を引き連れてすごすごとその場を退くのでした。
こうして政岡は、この場をなんとか切り抜けるのでした。
しかし、これはあくまで一時しのぎに過ぎません。
敵方の罠は執拗に繰り返され、やがて物語は、政岡が我が子・千松の犠牲を払うことになる「御殿の場」へと突き進んでいきます。
「竹の間の場」で見せた小さな綻びは、次の場面でより深刻な形となって政岡たちを襲うことになるのです。
見どころ①脈診断という奇妙な罠|言葉のあやで仕掛けられる罠
「竹の間の場」最大の見どころは、女医者・小巻による脈診断の場面です。
同じ鶴千代の脈を取りながら、一度目は「必死の脈」、二度目は「ご平脈」と正反対の診断を下すという、明らかに不自然な展開そのものが、敵方の罠であることを暗示しています。
刀や毒薬のような直接的な手段ではなく、医学的な診断という一見客観的に見える手段を使って追い詰めようとするところに、仁木弾正一味の狡猾さがにじみ出ています。
「御殿の場」で描かれる毒殺という直接的な脅威の前段階として、まずは言葉の罠でじわじわと政岡を追い詰めていく、緊張感の積み上げ方が巧みな場面です。
女医者・小巻が、はたして最初から敵方に通じていたのか、それとも何らかの事情で診断を翻したのか、劇中では詳しい説明がなされません。
この説明のなさがかえって不気味さを増幅させており、御殿の中の誰もが敵か味方か判然としないという、疑心暗鬼の空気そのものがこの場面の緊張感を作り出しています。
断定的な種明かしをせず、観客の想像に委ねる余白を残しているところにも、この場面の巧みさがあります。
見どころ②沖の井の理詰めの弁護|証拠のほころびを見抜く推理力
天井から落ちてきた曲者の自白と、鶴千代を呪う願文という一見動かぬ証拠を前に、政岡は絶体絶命の窮地に立たされます。
この危機を救うのが、沖の井が見せる冷静な理詰めの反論です。
都合よく天井から曲者が落ちてくること自体の不自然さ、そして真の依頼主であればわざわざ証拠に自分の名前を書き残すはずがないという矛盾――沖の井は感情論ではなく、筋の通った論理だけで八汐の企みを打ち崩していきます。
力や妖術ではなく、冷静な観察と論理の力で窮地を切り抜けるこの場面は、「伽羅先代萩」全体の中でも異色の知的な見せ場です。
八汐が用意した罠がどれほど巧妙に見えても、細部に生じたわずかなほころびを見逃さない沖の井の存在が、政岡と鶴千代の命運を静かに支えています。
この沖の井の活躍は、続く「御殿の場」における政岡と千松の献身をより一層引き立てる役割も果たしています。
「竹の間の場」で辛くも切り抜けた危機が、実はまだ序章に過ぎなかったことを、観客はこの後の展開で思い知らされることになるのです。
登場人物紹介
政岡
鶴千代の乳人。
若君を「男を嫌う病」と偽り、女性だけの環境に置くことで、毒殺の危険から遠ざけようとします。
鶴千代
足利家の幼い当主。
政岡と千松の献身によって守られる存在で、この場では病を装って周囲を欺きます。
八汐
仁木弾正の妹。
女医者・小巻を使い、鶴千代の病の真偽を暴かせようとして、政岡を罠にかけようとします。
沖の井
田村右京の妻。
小巻の診断に生じた証拠のほころびを理詰めで突き、追い詰められた政岡の窮地を救います。
小巻
典薬・大場道益の妻とされる女医者。
鶴千代の脈を二度取り、正反対の診断を下すという不審な振る舞いから、天井にひそむ怪しい気配の存在をあぶり出すきっかけをつくります。
沖の井は、少なくともこの場面では政岡の味方として振る舞いますが、敵方に近い立場にありながらも公正な判断を下す、物語に緊張と緩和の両方をもたらす興味深い役どころです。
すべての登場人物が敵か味方かに単純に色分けされているわけではないという点も、「竹の間の場」の人間関係の奥行きを感じさせます。
誰もが敵か味方か即座には判別できないという緊張感は、この後の場面でも繰り返し物語の緊迫感を支える要素になっていきます。
沖の井のような人物がいるからこそ、政岡の孤軍奮闘ぶりが際立ちすぎることなく、物語全体のバランスが保たれているとも言えるでしょう。
「男を嫌う病」という策の意味
政岡が掲げる「鶴千代君は男を嫌う病にかかっている」という名目は、一見すると奇妙な設定に思えるかもしれません。
しかしこれは、若君の周囲から男性の家臣を遠ざけ、女性だけで固めることで、暗殺者が入り込む隙を最小限に抑えようとする、政岡なりの防衛策だったのです。
もっとも、この策も完全ではありません。
「竹の間の場」で描かれるように、見舞いという名目であれば女性であっても御殿に入り込むことができ、八汐や小巻のような敵方の人間が接近する隙を完全にはふさげていないのです。
政岡がどれほど周到に策を巡らせても、敵の魔の手が完全には防ぎきれないという緊張感が、この後の「御殿の場」の悲劇へとつながっていきます。
男性の家臣であれば怪しまれて当然の御殿の奥へ、女性という立場を利用してやすやすと入り込んでくる八汐や小巻の存在は、政岡の策の限界を静かに物語っています。
どれほど用心を重ねても、味方のふりをした敵の接近までは防ぎきれない――この構造的な弱さこそが、「御殿の場」で千松が犠牲になる悲劇の伏線として機能しているのです。
「竹の間の場」で示されるこの限界は、政岡の警戒が足りなかったからではなく、そもそも敵の狡猾さがそれを上回っていたことを物語っています。
観劇のポイント|表情や間合いの機微を追う
「竹の間の場」は、「御殿の場」のような大きな悲劇や、「床下の場」のような視覚的な仕掛けがあるわけではありません。
女性たちが座敷でやり取りするだけの、一見地味な場面に見えるかもしれませんが、だからこそ、役者たちの表情や間合いの取り方に注目することが、この場面を楽しむコツになります。
八汐が政岡を追い詰めようとする際のねちっこい口調、政岡がぎりぎりのところで平静を装う様子、小巻の診断が翻る瞬間の空気の変化――こうした細部に意識を向けることで、静かな場面の中に張り詰めた緊張感を見出すことができます。
「御殿の場」の悲劇を観る前に、この場面で敵方の狡猾さと政岡の置かれた状況をしっかり把握しておくと、その後の展開がより深く胸に響くはずです。
台詞のひとつひとつが、後の悲劇への伏線になっていることを意識しながら観ると、二度目以降の観劇でも新たな発見があるはずです。
よくある質問(FAQ)
- 「竹の間の場」はどんな話ですか?
-
幼君・鶴千代を守る政岡のもとへ、敵方の八汐が見舞いに訪れ、女医者の不可解な脈診断や、天井から落ちてきた曲者の自白を使って政岡を罠にかけようとする場面です。
沖の井の理詰めの反論によって、政岡はひとまず窮地を脱しますが、緊張は解けないまま次の場面へと続いていきます。 - なぜ政岡は「男を嫌う病」という名目を使うのですか?
-
鶴千代の周囲を女性だけで固め、暗殺者が入り込む隙をできる限り減らすための防衛策です。
ただし女性であれば近づけてしまうため、完全な対策にはなっておらず、この抜け穴が後の悲劇につながっていきます。 - 女医者・小巻の脈診断はなぜ矛盾しているのですか?
-
一度目と二度目で正反対の診断を下すという不自然さそのものが、政岡を罪人に仕立てようとする敵方の罠であることを示しています。
直接的な暴力ではなく、言葉の上での駆け引きで追い詰めようとする、狡猾な手口のひとつであり、種明かしをあえてしない演出も特徴です。 - 「竹の間の場」の見どころはどこですか?
-
脈診断という奇妙な罠の緊張感と、天井から落ちた曲者の自白を、沖の井が理詰めの反論で覆す場面が見どころです。
力ではなく論理で窮地を切り抜ける、知的な緊張感が味わえます。 - 「竹の間の場」は単独で上演されますか?
-
「御殿」「床下」に比べると上演機会は多くありません。
通し狂言として全六場を上演する際や、「御殿の場」の直前の場面として上演されることがあります。
公演によって上演される場面が異なるため、事前にプログラムを確認しておくと安心です。
歌舞伎が初めての方へ
歌舞伎自体が初めてだと「どう観ればいいの?」と迷うこともあるかもしれません。
歌舞伎には独特の約束ごとや表現がありますが、基本を少し知っておくだけで、面白さがぐっと伝わりやすくなります。
歌舞伎とは?初心者向けにわかりやすく解説

まとめ|静かな駆け引きが積み上げる緊張感
静かな緊張感が持ち味の「竹の間の場」について振り返ると、次のようにまとめられます。
- 頼兼隠居後、幼い鶴千代が家督を継いだ直後の御殿が舞台
- 政岡は「鶴千代は男を嫌う病」と偽り、若君を女性だけで守っている
- 女医者・小巻の矛盾した脈診断が、政岡を陥れる罠として使われる
- 天井から落ちた曲者の自白と願文の証拠に対し、沖の井が理詰めで反論し政岡の窮地を救う
- この一時しのぎの緊張感が、続く「御殿の場」の悲劇への布石となる
「竹の間の場」は、刀や妖術に頼らず、言葉と診断という静かな手段で仕掛けられる罠の緊張感が魅力の一幕です。
派手さはなくとも、御殿の中に潜む敵の存在をひしひしと感じさせる、心理描写に優れた場面といえます。
「御殿の場」の毒殺という直接的な悲劇に比べると地味に見えるかもしれませんが、その分だけ、じわじわと追い詰められていく心理的な緊張感を味わえます。
次に観劇する機会があれば、小巻の診断の不自然さと、沖の井が繰り出す理詰めの反論の鮮やかさに、ぜひ注目してみてください。
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