歌舞伎を観ていると、何もなかった舞台から役者や建物が姿を現すことがあります。反対に、舞台上の人物や大道具が、そのまま床下へ消えていく場面もあるでしょう。こうした登場や退場を可能にする舞台機構が「せり(迫り)」です。
せりは、場面を切り替えるためだけの設備ではありません。役者がどのように姿を現すのか、大道具がいつ見えてくるのかによって、同じ舞台でも観客が受ける印象は変わります。歌舞伎の見せ方を支えている装置の一つ、といえるでしょう。
この記事では、せりの意味と基本的な仕組み、大迫り・小迫りの違い、考案された歴史、代表的な使用例まで、初めて歌舞伎を観る方にもわかりやすく紹介します。
せり(迫り)とは?舞台を上下させる歌舞伎の仕掛け
舞台の一部を昇降させる装置
せり(迫り)とは、舞台の一部を四角く切り抜き、その部分を上下させる昇降装置のことです。動く床の上に役者や大道具を載せることで、舞台下から登場させたり、舞台上から引っ込めたりできます。
たとえば、舞台上に何も見えていない状態から床の一部が上がってくれば、そこに載せられた人物や建物が少しずつ観客の前へ現れます。床を下げれば、今度は人物や大道具が舞台下へ消えていくという仕組み。通常の出入りとは異なる、立体的な登場・退場が可能になります。
大切なのは、せりで動くものが役者だけとは限らない点です。建物などの大道具も上下させられるため、舞台上の景色を大きく変える用途にも使われます。人物の動きと場面転換の両方に関わることが、せりの大きな特徴です。
場面転換と意外な登場を支える
せりには、主に二つの見どころがあります。一つは、大道具を上下させて舞台の場面を変えること。もう一つは、人物を急に登場させたり、舞台から退場させたりすることです。
舞台袖から歩いて登場する場合、観客は役者が横方向から近づいてくる姿を見ます。一方、せりを使うと、役者は足元から垂直方向に現れることになります。観客の視線も自然にその一点へ集まり、登場そのものが印象的な場面になるでしょう。
大道具を載せて動かす場合には、建物を含む景色が下からせり上がります。場面を変える働きと、印象的な見せ方が一つになっているのです。せりは、廻り舞台と同じく、歌舞伎の場面転換や人物の急な出入りを支える舞台機構に数えられます。
こうした仕掛けを含む劇場全体について知りたい方は、歌舞伎座の歴史や舞台機構を紹介するガイドもあわせてご覧ください。

大迫りと小迫りの違い
せりは、動かす部分の大きさによって「大迫り」と「小迫り」に分けられます。どちらも床を上下させる点は共通していますが、載せるものと舞台上での役割が異なります。名前どおり、規模の違いに注目すると理解しやすいでしょう。
大迫り(おおぜり)は大道具ごと動かす
大迫りは、大道具ごと大がかりに上下させるためのせりです。建物を載せた舞台の一部が上昇すれば、舞台下に用意されていた景色が観客の前に現れます。反対に下げることで、大道具を舞台上から引っ込めることも可能です。
役者一人だけを動かす小さな仕掛けと比べ、大迫りは大道具ごと動く分、変化が大がかりになります。そのため、観客は人物の登場だけでなく、背景となる建物の出現にも目を向けることになります。大がかりな景色を見せたい場面と相性のよい仕掛けです。
大道具と役者を一緒に載せる使い方なら、建物が現れるのと同時に、その上にいる人物も姿を見せられます。代表例が、後ほど紹介する『楼門五三桐』。山門と石川五右衛門が一体となってせり上がることで、強い印象を残す登場になります。
小迫り(こぜり)は主に役者一人を動かす
小迫りは、主に役者一人を上下させるための小型のせりです。舞台の限られた部分だけが動くので、大迫りのように大道具全体を見せるというより、人物の登場や退場に焦点を当てた使い方になります。
床下から役者が上がってくれば、観客には人物が突然現れたように映ります。舞台上から下がる場合も同様で、通常とは違う退場を表現できるのがポイント。小型であっても、人物の存在を際立たせる重要な装置です。
大迫りと小迫りは、単に大きさが違うだけではありません。「大道具を含む大きな景色を動かすのか」「主に役者一人を動かすのか」という役割の違いがあります。観劇中に床が動いたら、何が載っているかを見ると、どちらの働きに近いのかをつかみやすくなります。
花道の「すっぽん」もせりの一種
歌舞伎の花道にも、小型のせりが設けられています。花道の「七三」と呼ばれる位置にある「すっぽん」です。幽霊や妖怪、動物の精、妖術を使う人物などの登場・退場に用いられます。
すっぽんは小型のせりの一種ですが、花道上にあることと、そこで扱われる人物に特徴があります。花道以外のせりとあわせて覚えておくと、歌舞伎が床下の空間まで使って人物を登場させていることが見えてくるでしょう。
すっぽんの位置や花道における役割は、花道と七三、すっぽんの解説で詳しく紹介しています。ここでは「花道にもせりの一種がある」と押さえておけば十分です。

せりはどのように舞台を動かす?基本の仕組み
四角く切り抜かれた部分が上下する
せりの基本は、四角く切り抜かれた舞台の一部を、床面ごと上下させることです。動く部分が通常の舞台面と同じ高さにあるときは、その上を舞台の一部として使えます。そこから上げたり下げたりすることで、役者や大道具の位置を垂直方向へ変えるわけです。
舞台下に役者や大道具がある状態からせりを上げれば、下に隠れていたものが次第に見えてきます。逆に、舞台上にあるものを載せたまま下げれば、観客の視界から少しずつ消えていきます。この上下運動が、登場、退場、場面転換という複数の働きにつながります。
せり上がる場面では、最初に人物や建物の上部が見え、上昇にしたがって全体が姿を現します。せり下がる場合は、その反対です。観客は完成した景色だけを見るのではなく、景色や人物が現れ、あるいは消えていく過程も目にすることになります。
この「途中の見え方」まで含めて舞台表現になるところが、せりの面白さです。何が現れるのかを待つ時間、人物の全身が見えた瞬間、舞台面と同じ高さで動きが止まる瞬間。それぞれが一続きの見せ場として感じられるでしょう。
古くは人力、現代の劇場では電動
古い時代のせりは、滑車などを使い、人の力で昇降させていました。役者や大道具を載せた床を人力で動かしていたことになります。現在の劇場では電動化され、機械によって上下する方式です。
現在も、出石永楽館や旧金毘羅大芝居(金丸座)といった芝居小屋では、せりが人力で操作されています。電動化された大劇場とは違う、昔ながらの仕掛けを間近で見学できるのも、こうした芝居小屋ならではの魅力です。


人力から電動へと動かし方は変わっても、舞台の一部を上下させて人物や建物を出し入れするという基本的な役割は共通しています。観客から見えるのは床の動きと、その上に載った役者や大道具。舞台下で支える設備が、目の前の印象的な場面を成立させています。
また、せりは単独で覚えるより、廻り舞台と並ぶ場面転換の仕掛けとして捉えるとわかりやすくなります。廻り舞台が回転する装置であるのに対し、せりは上下する装置。動く方向は異なりますが、場面を変えたり、人物を印象的に出入りさせたりする点で、ともに歌舞伎の舞台を支えています。
せりの歴史と考案者・並木正三
宝暦3年の大坂で使われたのが最初とされる
せりの考案者は、大坂の狂言作者である並木正三(なみき しょうぞう)とされています。最初に用いられたとされるのは、宝暦3年(1753年)のこと。大坂・大西の芝居で上演された『傾城天羽衣』で使われ、そこから広く利用されるようになりました。
現在では、舞台の一部が上下して人物や建物が現れる演出は、歌舞伎ならではの舞台表現の一つとして知られています。その出発点として挙げられるのが、並木正三と『傾城天羽衣』なのです。
せりが広く使われるようになったことで、登場人物は舞台袖や花道から入るだけでなく、床下からも姿を現せるようになったと考えられます。大道具についても、あらかじめ舞台上に置くほか、床下から建物ごと見せる方法が可能になります。上下方向を使った出入りが、舞台表現の選択肢に加わったと考えると、その特徴を理解しやすいでしょう。
廻り舞台も同じ人物の発案とされる
並木正三は、回転する舞台装置である廻り舞台の考案者としても知られています。つまり、舞台を上下させるせりと、舞台を回転させる廻り舞台は、同じ人物の発案とされているのです。
両者は動き方こそ違いますが、場面転換を助け、人物の登場や退場を印象づけるという点で共通しています。せりについて学ぶ際は、「上下に動く舞台機構」「並木正三の考案とされる」「廻り舞台も同じ人物の発案とされる」という三点を押さえておくとよいでしょう。
ただし、せりを理解するために、廻り舞台の詳しい仕組みまで一度に覚える必要はありません。まずは上下するのがせり、回転するのが廻り舞台という違いを知るだけでも、観劇中の舞台の変化を整理しやすくなります。
せりが活躍する代表演目『楼門五三桐』
山門ごと現れる石川五右衛門
せりを使った代表的な演目として知られているのが、『楼門五三桐(さんもんごさんのきり)』です。京都・南禅寺の山門の上にいる石川五右衛門が、山門ごと大迫りでせり上がって登場します。
この場面で注目したいのは、石川五右衛門だけが上がってくるのではなく、人物を載せた山門そのものが現れる点です。大迫りが大道具ごと上下する装置だということを、視覚的に理解しやすい使用例になっています。
山門が上昇するにつれて、そこにいる五右衛門も観客の前へ姿を現します。建物と人物が同時に見えてくるため、単に役者が登場する場合とは異なる、大がかりな舞台の変化を味わえるでしょう。
階上と階下のにらみ合いに注目
山門の上にいる石川五右衛門は、階下にいる真柴久吉(まさしひさよし)とにらみ合います。真柴久吉は、羽柴秀吉をモデルとする人物です。山門の上と下に人物が配されることで、舞台の高さを生かした対面になります。
この場面では、せり上がる山門の大きさに目を奪われるだけでなく、五右衛門がどの位置に現れ、階下の久吉とどのように向き合うのかにも注目してみてください。大迫りによる登場が、その後のにらみ合いへつながっていることが見えてきます。
せりの用語だけを覚えるなら「床が上下する装置」という説明で足ります。しかし、『楼門五三桐』の山門を思い浮かべると、大迫りが実際に何を動かし、舞台上にどのような景色を生み出すのかまで理解しやすくなります。
演目の内容や有名な場面を先に知っておきたい方は、『楼門五三桐』のあらすじと「絶景かな」の見どころも参考にしてください。せりの働きを意識して観れば、山門の登場がいっそう印象深く感じられるはずです。

観劇でせりを楽しむための注目ポイント
何が上下しているかを見る
せりに気づいたら、まずは「何が載っているか」に注目してみましょう。役者一人が上下しているなら小迫り、大道具ごと動いているなら大迫りの働きに近いと考えられます。名称を思い出すことより、動かしている対象を見るのが第一歩です。
人物の場合は、どこから現れ、どの高さで止まるのかが見どころになります。大道具の場合は、舞台の景色がどのように変わるかを追うとよいでしょう。同じ上下運動でも、役者を際立たせる場面と、舞台全体を変える場面では印象が異なります。
また、せり上がってくる瞬間だけでなく、動き始める前後にも目を向けてください。何もなかった場所から人物や建物が現れ、舞台面とつながって一つの場面になるまでを見ると、せりが登場と場面転換を同時に担える理由が実感できます。
舞台中央と花道の違いを意識する
せりが使われる場所にも注目です。舞台上で大道具が大きく動けば、景色そのものの変化が目立ちます。一方、花道の七三にあるすっぽんでは、幽霊や妖怪、動物の精、妖術を使う人物などの出入りが焦点になります。
同じ「床下から現れる」という動きでも、舞台上と花道上では観客から見える位置が異なります。どこが動いているかを確かめるだけで、せりの種類や役割を整理しやすくなるでしょう。初心者のうちは、舞台全体を細かく追うより、動いた床とその上にあるものを見るだけでも十分です。
実際の舞台でせりを近くから知る
客席から上演を観るだけでなく、舞台を体験できる機会があれば、せりをより身近に感じられます。床のどの部分が動くのかを知ったうえで舞台を見ると、次の観劇でも仕掛けに気づきやすくなるでしょう。
花道、せり、廻り舞台を実際に見られる機会については、「南座 夏の舞台体験ツアー2026」の日程・料金・チケット情報で紹介しています。舞台機構を間近で確かめたい方は、あわせて確認してみてください。

せりを知ると、役者の演技に加えて、登場を支える舞台の動きも観劇の楽しみになります。「突然現れた」と驚くだけでなく、「小迫りによる登場だろうか」「大道具ごと大迫りで上がっている」と見分ける視点が加わるためです。
せり(迫り)についてのよくある質問(FAQ)
- せりとは何ですか?
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舞台の一部を四角く切り抜き、その部分を上下させる昇降装置です。役者や建物などの大道具を舞台下から登場させたり、舞台上から引っ込めたりするために使われます。
- 大迫りと小迫りは何が違いますか?
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大迫りは、大道具ごと大がかりに上下させるものです。小迫りは小型で、主に役者一人を上下させます。何を載せて動かすのかに注目すると、違いをつかみやすいでしょう。
- 花道のすっぽんもせりですか?
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はい。すっぽんは、花道の七三に設けられた小型のせりです。幽霊、妖怪、動物の精、妖術を使う人物などの登場や退場に用いられます。
- せりを考案したのは誰ですか?
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大坂の狂言作者・並木正三とされています。宝暦3年(1753年)、大坂・大西の芝居で上演された『傾城天羽衣』に用いられたのが最初とされ、その後広く使われるようになりました。
- せりが使われる代表的な演目は何ですか?
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『楼門五三桐』がよく知られています。京都・南禅寺の山門の上にいる石川五右衛門が、山門ごと大迫りでせり上がり、階下の真柴久吉とにらみ合う場面が有名です。
- 現在のせりも人の力で動かしているのですか?
-
古くは滑車などを使い、人力で昇降させていました。現代の劇場では電動化されています。
歌舞伎が初めての方へ
歌舞伎自体が初めてだと「どう観ればいいの?」と迷うこともあるかもしれません。
歌舞伎には独特の約束ごとや表現がありますが、基本を少し知っておくだけで、面白さがぐっと伝わりやすくなります。
歌舞伎とは?初心者向けにわかりやすく解説

まとめ|せりを知ると歌舞伎の登場と場面転換がもっと面白い
せり(迫り)は、舞台の一部を四角く切り抜き、上下させる昇降装置です。役者や建物を舞台下から登場させるだけでなく、舞台上から引っ込めることもできます。場面転換と人物の急な登場・退場を支える、歌舞伎の代表的な舞台機構です。
大道具ごと大がかりに動かすものが大迫り、主に役者一人を動かす小型のものが小迫り。花道の七三にあるすっぽんも、小型のせりの一種です。観劇中は、床が上下していることだけでなく、何が載り、どこから現れるのかを見てみましょう。
せりは並木正三の考案とされ、宝暦3年(1753年)の『傾城天羽衣』で最初に使われたと伝えられます。古くは滑車などを用いて人力で動かしていましたが、現代の劇場では電動化されました。
代表的な使用例は、『楼門五三桐』で石川五右衛門が南禅寺の山門ごと現れる場面です。大迫りの働きを知ってから観ると、建物と人物が一緒にせり上がる見せ方や、階下の真柴久吉とのにらみ合いが、より鮮明に感じられるでしょう。次に歌舞伎を観るときは、役者の足元で動く舞台にもぜひ注目してください。
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