『女暫(おんなしばらく)』とは、歌舞伎の豪快な荒事を代表する
演目暫の主人公を女方に置き換えた遊び心あふれる作品です。
「ただの女版」なだけではなく
様式美とパロディ精神が融合した、華やかで祝祭感あふれる舞台です。
女暫とは?歌舞伎十八番との関係
『暫』は、
歌舞伎十八番のひとつに数えられる、市川宗家の家の芸。
大音声で「しばらく!」と名乗り出て悪を制する、荒事の象徴的演目です。
その主役・鎌倉権五郎を女方に置き換えたのが『女暫』。
十八番そのものではなく、パロディとして発展した趣向替えの作品です。
歌舞伎十八番は市川宗家の家の芸であることから、大きな袖には三升の紋が染め抜かれています

女暫の由来・歴史
実は『暫』の主人公が鎌倉権五郎に定着したのは、明治28年(1895年)に福地桜痴の改訂脚本をもとに、九代目市川團十郎が独立した一幕物として上演して以降のことです。
それ以前は興行のたびに役名が変わり、単に「暫」「ウケ」といった通称で呼ばれていました。
一方女暫は、半世紀近く途絶えていた古い型を、明治34年(1901年)11月に市村座で五代目中村歌右衛門が新たに書き下ろして復活させたものが、現在の上演形式のベースになっているとされています。
つまり女暫は、暫のたんなる余興ではなく、独自に練り直された一幕として今に伝わっているのです。

女暫の主人公・巴御前とは?
女暫の主役は、歴史上の女武者・巴御前。
女暫では古くから巴御前が定番の役どころでした。
巴御前は『平家物語』に登場する伝説的な女武者で、木曾義仲に仕え、色白で長い髪と美貌を持ちながら、弓馬の腕は一騎当千と評された人物です。
「今井の妹」という役名は、義仲の乳母子・今井兼平の妹(あるいは幼い頃から仕えた近しい間柄)とする伝承にもとづいています。
ただし史料での実在確認は難しく、あくまで物語の中で語り継がれてきた人物という側面もあります。
宇治川の合戦で義仲主従がわずか五騎にまで討ち減らされたとき、最後まで付き従った一人が手塚太郎光盛でした。
女暫の劇中で巴御前と共に名刀を取り戻す手塚太郎は、この『平家物語』の縁を踏まえた配役ともいえ、細部にまで物語の背景が息づいています。
大太刀をさげ、花道を早足で進みながら
「しばらくぅ〜!」
この登場が様になる女性は、日本史上ほとんどいない。
巴御前 くらい。
だからこそ、女暫=巴御前なのです。
女暫のあらすじ
源平の合戦で功を立て、権勢を誇る蒲冠者範頼(かばのかんじゃのりより)は、家臣を従えて北野天満宮へ参詣する。
範頼は、歴史上の
→ 源範頼
の名を借りた大悪役である。
従うのは、轟坊震斎、女鯰若菜、猪俣平六、武蔵九郎、江田源三、東条八郎ら、いずれも個性の強い家臣たち。
まさに“悪の行列”といった趣だ。
そこへ居合わせたのが、清水冠者義高と、その許嫁・紅梅姫。
義高は
→ 源義高
の名を持つ、清廉な若武者である。
さらに木曽太郎、駒若丸、局唐糸、家老根井行親ら忠義の人々も加わり、横暴な範頼をたしなめる。
しかし逆上した範頼は、成田五郎に命じ、義高らの命を奪おうとする。
その刹那――
「しばらく!」
花道から呼び止める声。
現れたのは、大力無双の巴御前。
本作は歌舞伎十八番の一つ
→ 暫
を踏まえた趣向であり、その英雄役を女方が担うところに醍醐味がある。
巴御前は勇ましくつらねを述べ立て義高らを救う。
さらに、紛失していた名刀・倶利伽羅丸を、自らの計略と手塚太郎光盛の働きによって取り戻す。
そして大太刀を振るい、範頼の仕丁を次々と退ける。
一通り悪を懲らしめたあと、舞台番の辰次から六方を習い、
どこか恥ずかしそうに引き揚げていく――。
勇壮でありながら、最後は愛嬌をのぞかせる。
この“強さと可憐さの同居”こそ、『女暫』の味わいなのである。
倶利伽羅丸とは、不動明王の化身「倶利伽羅」にちなむ名刀で、邪を断つ象徴。その奪還は、正義の回復を意味しています。
おもな登場人物
あらすじに登場する蒲冠者範頼と清水冠者義高は、いずれも史実の源氏一門の名を借りたキャラクターです。
範頼は源頼朝の異母弟で、木曾義仲や平氏の追討に功を立てた武将でしたが、のちに謀反を疑われ非業の死を遂げています。
劇中で悪役として描かれる範頼が、史実では頼朝方の忠実な将であったという皮肉も、歌舞伎らしい脚色のひとつです。
一方の義高は、木曾義仲の息子で、頼朝の娘・大姫の許嫁として鎌倉に下った清廉な若武者でしたが、義仲の死後に頼朝から命を狙われ、非業の最期を遂げた悲劇の人物として知られています。
劇中の許嫁・紅梅姫は、この史実上の大姫をモデルにした人物と見ることもできるでしょう。
■ 女暫(おんなしばらく)概要
外題:女暫
ジャンル:歌舞伎十八番の変奏作品
上演時間:約1時間(公演により異なる)
今井の妹巴御前(ともえのまえ)
大力無双の女武者。本作のヒロイン。
「しばらく!」の声とともに花道から登場し、悪を制する存在。
名刀・倶利伽羅丸を取り戻し、義高らを救う。
勇壮さと気品、そしてどこか愛嬌も併せ持つのが魅力。
蒲冠者範頼(かばのかじゃ のりより)
源平の合戦で功を立てた武将だが、権勢を誇り天下取りを企む国崩し。
成田五郎(なりたごろう)
範頼の命を受けて動く荒々しい武将。赤っ面の豪傑タイプ。
猪俣平六(いのまたへいろく)
武蔵九郎(むさしくろう)
江田源三(えだげんぞう)
東条八郎(とうじょうはちろう)
轟坊震斎(とどろきぼうしんさい)
鯰坊主。半分道化、半分敵役のユーモラスな存在。
女鯰若菜(おんななまずわかな)
鯰坊主の女版。愛嬌ある動きで場を和ませる。
清水冠者義高(しみずのかじゃ よしたか)
清廉な若武者。範頼の横暴を諫める。
紅梅姫(こうばいひめ)
義高の許嫁。可憐な姫君。
木曽太郎(きそたろう)
駒若丸(こまわかまる)
局唐糸(つぼねからいと)
家老 根井行親(ねいゆきちか)
手塚太郎(てづかたろう)
巴御前に協力し、名刀奪還に貢献。
茶後見(ちゃこうけん)
巴御前のつらねを助ける舞台上の後見。様式美の一部。
舞台番 辰次(たつじ)
巴御前に六方を習わせる役どころ。終幕にユーモアを添える。
女暫の見どころ① 荒事×女方の融合
本来、荒事は男性的で豪快な芸。
しかし女暫では、凛として美しく、それでいて怪力を誇る巴御前が主役。
ツンとした強さと、ふと見せる恥じらい。
このギャップがたまりません。
舞台上には、
- 赤っ面の豪傑
- 青い隈取の悪役
- 道化的な鯰坊主
- 華やかな姫役
と、典型的な歌舞伎の役柄が総登場。
色彩豊かで、目にも楽しい舞台です。
成田五郎のような赤っ面、悪役の青い隈取など、色分けされた化粧法(隈取)を見比べるだけでも、それぞれのキャラクター性がひと目でわかるのも荒事ならではの面白さ。
本来は男性的な迫力を見せる技法だからこそ、それと対をなす巴御前の凛とした美しさが際立ちます。
『暫』と『女暫』の違い一覧
| 比較項目 | 暫(本家) | 女暫 |
|---|---|---|
| 主人公 | 鎌倉権五郎(男性・荒事) | 巴御前(女性・女方) |
| 位置づけ | 歌舞伎十八番のひとつ | 十八番のパロディ・趣向替え |
| 引っ込み方 | 堂々とした六方 | 六方を習いながらの愛嬌ある引っ込み |
| 見せ場の質 | 豪快さ・様式美 | 豪快さ+可憐さのギャップ |
こうして並べてみると、女暫が単なる「女性版」ではなく、本家の様式美を踏まえたうえで、あえて崩す部分(六方が踏めないという弱さ)を作ることで新しい笑いと魅力を生み出していることがわかります。
女暫最大の見どころ「六方レクチャー」
本家『暫』では、最後に主人公が勇壮な六方を踏んで花道を引っ込みます。
六方とは、手足を大きく振って豪快に歩く様式的な演出で、荒事らしい力強さを見せる決めどころのひとつです。
しかし巴御前は“女”。
六方ができない、という設定から——
なんと裏から舞台番を呼び、その場で六方のやり方を教わるのです。
この瞬間、巴御前は役を超え、
「巴御前を演じる役者」になる。
歌舞伎ならではのメタ演出。
観客は大いに沸きます。

女暫は初心者にもおすすめ?
✔ 歌舞伎を知らなくても楽しめる華やかさ
✔ 型と様式美を体感できる
✔ 笑いどころがわかりやすい
あらすじが複雑でないうえに、赤っ面・青隈の悪役、道化的な鯰坊主、可憐な姫役まで、歌舞伎の代表的な役柄がひとつの舞台に凝縮されています。
「歌舞伎を一本観てみたいけれど、何から観ればいいかわからない」という人にとって、いわば歌舞伎の見本市のような一幕です。
歌舞伎を知らない人には入口として、
歌舞伎を知っている人には“お約束の裏切り”として。
両方に刺さる一作です。
暫を観たことある人にはぜひとも見てほしい演目です!
FAQ|女暫に関するよくある質問
- 女暫と暫の違いは何ですか?
-
『暫』は歌舞伎十八番のひとつで、鎌倉権五郎という男性の荒事役が主人公です。
『女暫』はその主役を女方に置き換えたパロディ的な一幕で、十八番そのものではなく趣向替えの作品として発展してきました。 - 女暫はいつから上演されていますか?
-
古い型の女暫は江戸時代から存在していましたが、いったん上演が途絶え、明治34年(1901年)に五代目中村歌右衛門が市村座で新たに書き下ろし復活させたものが、現在の上演形式のベースになっているとされています。
- 女暫の主役はいつも巴御前ですか?
-
基本的には巴御前が定番の主役ですが、まれに別の役どころで演じられることもあります。
例えば1987年には七代目尾上梅幸が「舞鶴」という役で演じた例も記録されています。 - 女暫は歌舞伎初心者でも楽しめますか?
-
楽しめます。
あらすじがシンプルで、豪快な荒事の様式美と女方の華やかさが同時に味わえるため、歌舞伎を観たことがない人の入口としてもおすすめです。 - 女暫の上演時間はどれくらいですか?
-
単独の一幕物として上演される場合、約1時間程度が目安です。
公演によって前後するため、正確な時間は各公演のプログラムで確認してください。
歌舞伎が初めての方へ
歌舞伎自体が初めてだと「どう観ればいいの?」と迷うこともあるかもしれません。
歌舞伎には独特の約束ごとや表現がありますが、基本を少し知っておくだけで、面白さがぐっと伝わりやすくなります。
歌舞伎とは?初心者向けにわかりやすく解説

まとめ:祝祭感あふれるパロディの名品
『女暫』は、
- 荒事の豪快さ
- 女方の可憐さ
- 歌舞伎の様式美
- そして遊び心
そのすべてが詰まった祝祭劇。
ただの女版ではありません。
本家『暫』の様式美を踏まえつつ、あえて崩す遊び心があるからこそ、明治の復活以来、今日まで愛され続けている演目です。
歌舞伎という芸能の懐の深さを、存分に味わえる作品です。



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