『仮名手本忠臣蔵』五段目・六段目は、早野勘平とおかるをめぐる悲劇が描かれる重要な場面です。
四段目で主君・塩冶判官が切腹し、物語が討入りへ動き始めたのに対し、五・六段目では、家臣たちそれぞれの苦難が描かれます。
とくに「二つ玉」と「勘平腹切」は、忠臣蔵屈指の名場面。
偶然が招く誤解、運命に翻弄される人間の弱さ、そして義を貫こうとする姿が、この一段に凝縮されています。
この記事では、五・六段目のあらすじ、登場人物、見どころをわかりやすく解説します。
『仮名手本忠臣蔵』全体のあらすじや全十一段について知りたい方は、まず親記事もあわせてご覧ください。
仮名手本忠臣蔵とは?あらすじ・全十一段・登場人物をわかりやすく解説
仮名手本忠臣蔵「五段目・六段目」とは?
五・六段目は、山崎街道の二つ玉から勘平腹切までを描く場面です。
討入りそのものではなく、勘平というひとりの家臣の運命が描かれる。
その意味で、忠臣蔵のなかでも人間ドラマの色が濃い一段といえます。
ここではじめて、忠臣蔵が単なる仇討ち物ではなく、運命と情を描く物語であることが見えてきます。
五段目・六段目の登場人物
早野勘平
塩冶家の家臣。
主君の大事に居合わせなかった悔いを抱え、仇討ちへの参加を願う。
誤解によって破滅する悲劇の中心人物。
おかる
勘平の妻。
夫を支えるため身売りを決意する。
この場面に深い情をもたらす存在。
与市兵衛
おかるの父。
娘夫婦を思う心が、悲劇の引き金となる。
斧定九郎
五段目の名物役。
悪の魅力と様式美を担う人気役。
千崎弥五郎・原郷右衛門
勘平と仇討ちをつなぐ同志たち。
六段目では重要な役割を果たします。
五段目・六段目のあらすじ
塩冶判官の家臣・早野勘平は、主君の刃傷の場に居合わせなかったことを悔い、妻おかるとともに山崎で暮らしていました。
仇討ちに加わるためには資金がいる。
そのため、おかるは身売りによって夫を助けようとし、父・与市兵衛も金の工面に奔走します。
ある夜、山崎街道で勘平は旧友・千崎弥五郎と再会し、仇討ちへの参加を願い出ます。弥五郎は明言こそしないものの、御用金の話をほのめかし、勘平に望みを残して去ります。
その後、与市兵衛は身売り金を持ち帰る途中、斧定九郎に襲われ殺されてしまいます。
同じころ、猟に出ていた勘平は、暗闇で猪と思って鉄砲を放ちます。
しかし撃たれたのは猪ではなく、定九郎でした。
勘平はそれと知らず、定九郎の懐にあった五十両を見つけ、これを天の与えた金として受け取り、仇討ちの資金にしようとします。
ところが翌朝、おかるが一文字屋に連れて行かれようとする中、その金こそ与市兵衛が持っていた金だと知り、勘平は愕然とします。
自分が舅を撃ち殺し、その金まで奪った――。
そう思い込んだ勘平は、深い絶望に沈みます。
やがて千崎弥五郎と原郷右衛門が現れますが、勘平には舅殺しの疑いが向けられ、仇討ちへの参加も拒まれてしまう。
無念の勘平は、自ら腹を切ります。
しかしその後、与市兵衛の傷が刀傷であることから、真相が明らかになる。
与市兵衛を殺したのは定九郎であり、勘平は知らぬうちに舅の仇を討っていたのです。
誤解は解け、勘平の忠義も認められ、最期にその名は連判状へ加えられる。
けれど、その時すでに勘平は死の淵にあり、勘平はそのまま息絶えるのでした。
五段目・六段目の見どころ
二つ玉
五段目最大の見どころ。
たった一発の銃声から運命が崩れ始める。
偶然が悲劇を呼ぶ構造は、忠臣蔵でも屈指です。
斧定九郎
五段目名物。
妖しさと様式美を備えた人気役。
見得にも注目です。
勘平腹切
六段目最大の見どころ。
誤解を背負って腹を切るという残酷さが胸を打つ。
おかる勘平の情
夫婦の情があることで、この悲劇には人間味が宿る。
連判入り
死の間際に忠義が認められる。
この救いが六段目を名場面にしています。
五段目・六段目はなぜ名場面なのか
五・六段目は、討入りではなく人間の運命そのものが描かれるからです。
偶然。誤解。忠義。情。
そのすべてが、この一段にある。
だから名場面とされるのです。
次は七段目へ
五・六段目の悲劇のあと、物語は祇園一力茶屋へ。
次の七段目では、大星由良助を中心に、討入り計画が大きく動き始めます。
よくある質問
- 二つ玉とは何ですか?
-
勘平が放った一発の銃声が、悲劇の引き金となる重要場面です。
- 勘平腹切とは何ですか?
-
誤解から勘平が自ら腹を切る、六段目最大の見せ場です。
- 斧定九郎はなぜ人気なのですか?
-
悪の魅力と様式美を兼ね備えた、歌舞伎らしい人気役だからです。
まとめ
『仮名手本忠臣蔵』五・六段目は、討入りそのものではなく、人が運命に翻弄されながら義を貫こうとする姿を描いた一段です。
二つ玉が招く悲劇。
勘平腹切の痛切さ。
そして死の間際に認められる忠義。
そこには、忠臣蔵が単なる仇討ち物ではない理由があります。
義だけではなく、誤解があり、弱さがあり、夫婦の情がある。
だからこの場面は、今も観る者の胸を打つのです。
討入りへ向かう途中でありながら、ここだけでも忘れがたい余韻を残す。
それが、五・六段目が名場面とされる理由なのかもしれません。
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