本水(ほんみず)を使った大迫力の立廻りで知られる歌舞伎演目「湧昇水鯉滝 鯉つかみ」。
「読み方が分からない」「どんな演目か知らずに観るのは不安」という方も多いのではないでしょうか。
本記事では、湧昇水鯉滝 鯉つかみの読み方・由来・あらすじ・見どころを、初心者の方にもわかりやすく解説します。
「湧昇水鯉滝 鯉つかみ」とは?読み方と演目の正体
「湧昇水鯉滝」は「わきのぼるみずにこいたき」、「鯉つかみ」は「こいつかみ」と読みます。
「鯉つかみ」は、実はもともと特定の一作品だけを指す言葉ではありません。
主人公が鯉の精と本水(舞台に本物の水をたたえた仕掛け)の中で格闘する場面を持つ作品群の総称として使われてきた言葉です。
「湧昇水鯉滝」は、数ある「鯉つかみ」演目の中でも現在まで代表的な外題として伝わっている作品名にあたります。
歌舞伎の基礎的な用語や見どころを先に押さえておきたい方は、以下の記事もご参考にしてください。

由来・歴史|尾上家の「家の芸」から市川右団次の当り芸へ
「鯉つかみ」の起源には諸説あります。
通説では、1756年(宝暦6)4月、江戸・市村座『梅若菜二葉曽我』で初世尾上菊五郎が演じたのが最初とされています。
一方で、さらに古く1739年(元文4)7月、同じ市村座の『累解脱蓮葉』で二世市川海老蔵が演じていたという異説も伝わっています。
もともと「鯉つかみ」は尾上家の「家の芸」として伝えられてきました。
戯作者・三升屋二三治の著書『紙屑籠』には「元祖菊五郎より始まり、親松緑(初世松助)が伝えて梅幸(三世菊五郎)へ譲る」という趣旨の記述が残っています。
1813年(文化10)7月には、江戸・中村座で初演された『短夜仇散書』の「真崎稲荷の場」で、三世菊五郎が演じた大工六三郎の鯉つかみが著名な例として伝わっています。
近代以降は、大阪の市川右団次親子がこの演出を得意芸としました。
初世市川右団次(のちの斎入、1843〜1916年)が1876年(明治9)11月、大阪・角座で初演した時代物『新舞台清水群参』は、「清玄桜姫の世界」に取材し、滝窓志賀之助の鯉つかみを趣向として取り入れたものです。
これが右団次の当り芸となり、二世市川右団次(1881〜1936年)が『湧昇水鯉滝』の外題で1914年(大正3)9月、東京・本郷座にて初演し、しばしば演じたことで、今日に伝わる形が定着しました。
あらすじ|俵藤太の百足退治から始まる、人と鯉の因縁
物語の主人公は滝窓志賀之助(たきまどしがのすけ)。
その正体は、琵琶湖に棲む鯉の精であるとされています。
近年の上演(2019年『三月花形歌舞伎』博多座など)で紹介されている筋立てをもとに、物語の流れを紹介します。
なお具体的な筋立ては上演ごとに趣向が加えられており、必ずしも一様ではありません。
発端:俵藤太の大百足退治と鯉王の呪い
近江・三上山には大百足(おおむかで)が棲みつき、毒を吐いては田畑を荒らし、村人を苦しめていました。
そこへ現れた俵藤太(たわらのとうた)が、宝剣「龍神丸」を使ってこの大百足を退治します。
ところが、この一件で思わぬ被害を受けたのが、琵琶湖に棲む鯉の王族たちでした。
ちょうど鯉王の息子が龍へと生まれ変わる「登龍」の祝宴を開いていた水中に、大百足の毒の血潮が流れ込み、水を穢してしまったのです。
息子の登龍を阻まれた鯉王は、俵藤太を恨み「末代まで呪う」と誓います。
この呪いが、のちに志賀之助を苦しめることになります。
小桜姫との出会いと龍神丸争奪
時代は下り、俵藤太の末裔にあたる「釣家」の息女・小桜姫(こざくらひめ)が、京都・清水寺で花見を楽しんでいました。
その美しさに心を奪われた信田清晴の家来たちが、姫を強引に連れ去ろうとしたところへ、志賀之助という男が現れて姫を助けます。
正体のわからないこの勇敢な男に、姫は一瞬で心を奪われてしまいました。
一方その裏では、悪事を企む関白中納言橘広継が、家来や釣家の裏切り者を使って、宝物蔵から宝剣・龍神丸を奪わせます。
釣家の奴・瀬田平が追いかけて激しく切り結びますが、最終的には志賀之助らしき男が現れ、龍神丸を持ち去ってしまうのでした。
正体の露見と琵琶湖の決闘
志賀之助を想うあまり床に伏してしまうほど恋煩いをしていた小桜姫のもとに、本物の志賀之助が現れ、二人は逢瀬を楽しみます。
そこへ関白家の使者が龍神丸の献上を迫り、瀬田平が刀を差し出したところ、突然の嵐とともに、逢瀬を楽しんでいたはずの姫ともう一人の影が障子に映し出されます。
しかしその影は志賀之助ではなく、なんと巨大な鯉の姿だったのです。
実は志賀之助の正体は、鯉王の恨みを受け継いだ鯉の精。
釣家への積年の恨みから、志賀之助に化けて近づいていたのでした。
そこへどこからか矢が放たれ、鯉の精に命中します。
矢を放ったのは本物の志賀之助で、彼は水中へと逃げていく鯉の精を追いかけていきます。
ついに琵琶湖にたどり着いた志賀之助の前に、大鯉となった鯉の精が姿を現します。
雨が降りしきるなか、両者は一歩も譲らぬ激しい格闘を繰り広げ、最後は志賀之助が止めを刺し、人と鯉の因縁に決着をつけます。
この大詰めの水中の対決こそが、「鯉つかみ」最大の見せ場です。
ストーリーの緻密さよりも、次に紹介する本水・宙乗り・早替りといった視覚的な仕掛けを楽しむ、けれん味あふれる一幕といえます。
見どころ|本水・宙乗り・早替りの三大けれん
本水を使った大立廻り
舞台に組まれた大きな水槽に本物の水をたたえ、その中で主人公が縫いぐるみの大鯉と格闘します。
ずぶ濡れになりながらの立廻りは体力勝負で、最後は「泳ぎ六方」で花道を引っ込む演出も見どころの一つです。
同じく本水を使う演出としては、『夏祭浪花鑑』の泥場も有名です。
「鯉つかみ」が江戸時代に夏狂言として好まれた背景には、冷房のない時代に観客が視覚的な涼を味わえる演出だった、という側面もあります。
本水を使う演目の多くが夏の興行に組まれてきたのは、この「涼を取る」という実用的な楽しみ方とも結びついています。

早替りと宙乗り
「鯉つかみ」は、一人の役者が複数の役を目まぐるしく演じ分ける早替りでも知られています。
上演によっては、退治する側とされる側の両方を早替りで演じ分けることもあります。
ワイヤーで宙を舞う宙乗りを組み合わせた演出が加えられることもあり、視覚的な驚きを重視した上演が重ねられてきました。
早替り・宙乗りといったけれん演出全般について詳しく知りたい方は、以下の記事もご参考にしてください。

近年の上演について
「鯉つかみ」は夏狂言の趣向として江戸時代に盛行しましたが、上演機会が減っていた時期もありました。
近年これを積極的に復活させてきたのが片岡愛之助です。
2012年11月の永楽館歌舞伎で初めて「鯉つかみ」に挑み、本水を使った演出を提案したことをきっかけに、以降は大阪松竹座や博多座など大劇場でも上演を重ねています。
上演のたびに早替りの役数や演出がブラッシュアップされており、2025年5月には大阪・関西万博開催記念「薫風歌舞伎特別公演」(大阪松竹座)の第三部として上演されました。
そして2026年10月2日(金)〜20日(火)、歌舞伎座『錦秋十月大歌舞伎』第一部では、愛之助が初めて歌舞伎座で「鯉つかみ」(滝窓志賀之助実は鯉の精)を勤めます。
愛之助のプロフィールについて詳しく知りたい方は、以下の記事もご覧ください。

まとめ
「湧昇水鯉滝 鯉つかみ」は、江戸時代から続く「鯉つかみ」の系譜を受け継ぐ、本水・宙乗り・早替りが揃った、けれん味あふれる演目です。
物語の緻密さよりも視覚的な仕掛けを楽しむ演目なので、歌舞伎が初めての方にもおすすめです。
よくある質問(FAQ)
- 「湧昇水鯉滝 鯉つかみ」はどう読みますか?
-
「湧昇水鯉滝(わきのぼるみずにこいたき)」「鯉つかみ(こいつかみ)」と読みます。
- 「鯉つかみ」は演目名ですか、演出の名前ですか?
-
もともとは、主人公が鯉の精と本水の中で格闘する場面を持つ作品群を指す総称です。
「湧昇水鯉滝」は、その中で現在まで伝わる代表的な外題(作品名)です。 - 客席が濡れることはありますか?
-
上演によっては、演出の一環として客席に水しぶきやミストがかかる場合があります。
心配な方は、事前に劇場の案内で服装や座席について確認することをおすすめします。 - 歌舞伎初心者でも楽しめますか?
-
はい。
台詞や物語の複雑さを追う演目ではなく、本水・宙乗り・早替りといった視覚的な仕掛けを楽しむ演目なので、予備知識がなくても十分に楽しめます。
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