上方歌舞伎の和事(わごと)を体現し、人間国宝・文化功労者・文化勲章受章者として歌舞伎界の頂点を極めた坂田藤十郎(さかた とうじゅうろう)。
1953年、『曽根崎心中』のお初役で一世を風靡し「扇雀(せんじゃく)ブーム」を巻き起こしたことは、歌舞伎史においても特筆すべき出来事でした。
2020年11月12日、88歳で老衰のため逝去しましたが、その功績は今も上方歌舞伎の礎として受け継がれています。
この記事では、四代目坂田藤十郎の生い立ちと家系図、二代目中村扇雀から三代目中村鴈治郎、そして四代目藤十郎襲名までの歩み、当たり役やその芸の特徴、人間国宝・文化功労者としての功績、海外公演を通じた歌舞伎の紹介、そして88年の生涯の終わりまで、まとめて解説します。
上方歌舞伎になじみの薄い方にも、その偉業が伝わるように紹介していきます。
坂田藤十郎(四代目) プロフィール
| 本名 | 林宏太郎(はやし こうたろう) |
| 生年月日 | 1931年12月31日 |
| 没年月日 | 2020年11月12日(享年88) |
| 出身 | 京都府京都市 |
| 屋号 | 山城屋(やましろや) |
| 定紋 | 五つ藤重ね星梅鉢(いつつふじがさねほしうめばち) |
生い立ちと二代目中村扇雀襲名
坂田藤十郎は1931年12月31日、京都府京都市に、二代目中村鴈治郎の長男として生まれました。
1941年10月、大阪・角座にて二代目中村扇雀(せんじゃく)を襲名し初舞台を踏みます。
上方歌舞伎の名門に生まれた御曹司として、幼少期から芸の道を歩み始めました。
父・二代目中村鴈治郎から直接、上方和事の芸を厳しく仕込まれ、祖父・初代中村鴈治郎から続く芸の系譜を、身をもって受け継いでいくことになります。
戦後の混乱期を経て歌舞伎界が復興していく中、少年時代から数々の舞台に立ち続け、着実に芸を磨いていきました。
『曽根崎心中』のお初と「扇雀ブーム」
『曽根崎心中』は、大坂で実際に起きた心中事件を題材に近松門左衛門が書き上げた世話物で、もとは人形浄瑠璃として初演された作品です。
1953年8月、東京・新橋演舞場で上演された歌舞伎版の『曽根崎心中』において、父・二代目中村鴈治郎の徳兵衛と共演し、お初を演じたことが大きな転機となりました。
原作の人形浄瑠璃初演(1703年)から250年を経て歌舞伎化されたこの舞台は空前の大ヒットとなり、当時の扇雀(のちの藤十郎)を一躍スターの座に押し上げ、世に言う「扇雀ブーム」を巻き起こします。
以降、お初は生涯にわたり1401回演じられた当たり役となり、坂田藤十郎の芸を象徴する代表作となりました。
このほか『廓文章』の藤屋伊左衛門、『仮名手本忠臣蔵』の戸無瀬、『伽羅先代萩』の政岡、『祇園祭礼信仰記』金閣寺の雪姫など、上方和事・女方としても数々の当たり役を残しています。
襲名の歩み|扇雀から鴈治郎、そして藤十郎へ
1990年11月、歌舞伎座にて三代目中村鴈治郎を襲名しました。
そして2005年11月、京都・南座の顔見世興行で、実に231年ぶりとなる大名跡「坂田藤十郎」を四代目として襲名します。
初代坂田藤十郎(1647〜1709)は、元禄期に上方で和事の芸を完成させた歌舞伎の始祖のひとりとされる人物で、近松門左衛門は初代藤十郎のために数多くの台本を書き下ろしたことで知られています。
231年もの長きにわたり空き名跡となっていたこの大名跡を復活させたことは、歌舞伎界全体に大きな衝撃を与えました。
屋号「山城屋」は、京都(山城国)にちなむ屋号で、初代藤十郎以来の由緒ある屋号と伝えられています。
歌舞伎独特の名前継承の仕組みである「襲名」については、こちらの記事でも詳しく解説しています。
「襲名」とは?歌舞伎独特の名前継承の仕組みをわかりやすく解説
上方和事の継承と「近松座」
坂田藤十郎は、江戸の荒々しい「荒事」とは対照的に、柔らかく色気のある仕草で恋愛や人情の機微を描く上方の演技様式「和事」を体現する役者として高く評価されてきました。
目線ひとつ、指先の動きひとつにも情感を宿らせる繊細な芸は、女方から立役まで幅広い役柄で発揮され、単なる美しさにとどまらない色気と哀愁を舞台にもたらしました。
幼い頃から日本舞踊の素養を積み重ねてきたことも、その柔らかく流れるような身のこなしの土台になっていたといわれています。
1981年には、近松門左衛門の作品を定期的に研究・上演するための自主公演「近松座」を旗揚げします。
『心中天網島』の原作に忠実な上演や、『けいせい仏の原』の復活上演など、埋もれていた近松作品の掘り起こしに尽力し、上方歌舞伎の芸の継承と発展に大きく貢献しました。
近松座はやがて海外にも活動の場を広げ、ロンドンを皮切りに、ロシア・中国・韓国・アメリカなど世界各国で近松作品を上演し、歌舞伎の魅力を世界に伝えていきました。
2001年にはロンドンで『曽根崎心中』を、2005年にはソウル・釜山で『曽根崎心中』『棒縛り』を上演するなど、海外公演にも精力的に取り組みました。
こうした地道な活動が、上方歌舞伎の灯を絶やさぬ支えとなったのです。
祖父・初代中村鴈治郎、父・二代目中村鴈治郎から受け継いだ上方和事の芸を、次の世代へと丁寧に伝えることにも力を注ぎ、後進の育成にも熱心に取り組みました。
上方歌舞伎を支えた劇場|南座・大阪松竹座への出演
坂田藤十郎は、京都・南座の顔見世興行や大阪・松竹座など、上方歌舞伎を代表する劇場の舞台に長年にわたり出演し続けました。
1997年に開場した大阪松竹座は、大阪における歌舞伎公演の拠点として位置づけられ、藤十郎もたびたびその舞台に立ち、上方歌舞伎の灯をともし続けました。
四代目坂田藤十郎襲名の披露興行が京都・南座で行われたことも、上方歌舞伎における南座の重要性を象徴する出来事でした。
東京の歌舞伎座や新橋演舞場を中心に発展してきた江戸歌舞伎に対し、上方の劇場を舞台の中心に据え続けたことも、藤十郎の役者人生を語るうえで欠かせない一面といえるでしょう。
人間国宝・文化功労者としての栄誉
その芸の功績は数々の栄誉によって称えられました。
1953年に毎日演劇賞、1990年に紫綬褒章を受章し、1994年には重要無形文化財保持者、いわゆる人間国宝に認定されます。
さらに2003年には文化功労者に選出され、2009年には歌舞伎役者として最高の栄誉のひとつである文化勲章を受章しました。
このほか芸術選奨文部大臣賞や日本藝術院賞、高松宮記念世界文化賞なども受賞しており、日本芸術院会員でもありました。
没後の2020年には、従三位を追叙されています。
その受賞歴は歌舞伎界でも屈指のものといえるでしょう。
役者としての活動にとどまらず、伝統芸能の振興という観点からも、歌舞伎界全体にとって大きな存在であり続けました。
家系図|二代目中村鴈治郎を父に、名優たちを一族に持つ家系
坂田藤十郎の父は、上方歌舞伎の名優として知られた二代目中村鴈治郎です。
妹には、映画やテレビドラマで幅広く活躍した女優の中村玉緒がいます。
妻は、宝塚歌劇団出身で、のちに国土交通大臣・参議院議長を歴任した扇千景です。
扇千景は女性として史上初めて参議院議長に就任した人物としても知られ、藤十郎とは芸能界と政界、双方で名を残した夫婦として注目を集めました。
長男は四代目中村鴈治郎で、父から大名跡「鴈治郎」を受け継ぎ、上方和事の継承者として舞台に立ち続けています。
次男は三代目中村扇雀で、こちらは藤十郎自身がかつて名乗った名跡を受け継いでいます。
孫にあたる世代では、鴈治郎の長男・中村壱太郎が女方として、扇雀の長男・中村虎之介が若手実力派として、それぞれ舞台に立っています。
親子三代、あるいはそれ以上にわたって上方歌舞伎の重責を担い続ける、名実ともに歌舞伎界屈指の名門一家といえるでしょう。
88年の生涯に幕|2020年11月、老衰による死去
坂田藤十郎は、2019年12月の京都・南座『祇園祭礼信仰記 金閣寺』の慶寿院尼役を最後に、舞台から遠ざかっていました。
若き日に同じ演目の雪姫を当たり役としていたことを思えば、老け役として同じ『金閣寺』の舞台に立ったこの公演は、長い芸歴の締めくくりにふさわしいものだったといえるでしょう。
そして2020年11月12日午前10時42分、東京都内の病院にて老衰のため逝去しました。
享年88歳でした。
新型コロナウイルス感染症の拡大を受け、葬儀は11月14日に近親者のみで密葬として執り行われ、後日改めて偲ぶ会が予定されていると発表されました。
よくある質問(FAQ)
- 坂田藤十郎は人間国宝ですか?
-
はい。
1994年に重要無形文化財保持者(各個認定)、いわゆる人間国宝に認定されています。
2003年には文化功労者、2009年には文化勲章も受章しました。 - 坂田藤十郎はいつ亡くなりましたか?
-
2020年11月12日、東京都内の病院にて老衰のため逝去しました。
享年88歳でした。 - 坂田藤十郎の当たり役は何ですか?
-
『曽根崎心中』のお初が代表的な当たり役で、生涯で1401回演じました。
このほか『廓文章』の藤屋伊左衛門、『伽羅先代萩』の政岡、『祇園祭礼信仰記』金閣寺の雪姫なども当たり役として知られています。 - 坂田藤十郎と中村鴈治郎(四代目)はどんな関係ですか?
-
四代目中村鴈治郎は、坂田藤十郎の長男です。
父から大名跡「鴈治郎」を受け継ぎ、上方和事の継承者として舞台に立ち続けています。 - 「坂田藤十郎」という名跡はなぜ231年ぶりだったのですか?
-
三代目坂田藤十郎(1774年没)の没後、長らく空き名跡となっていたためです。
2005年11月、京都・南座の顔見世興行で四代目として襲名し、231年ぶりに大名跡を復活させました。 - 坂田藤十郎の本名は何ですか?
-
本名は林宏太郎(はやし こうたろう)です。
息子の四代目中村鴈治郎の本名・林智太郎も、同じ「林」姓を名乗っています。
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まとめ|231年ぶりに大名跡を復活させた上方歌舞伎の重鎮
- 坂田藤十郎(本名・林宏太郎)は1931年生まれ、二代目中村鴈治郎の長男として京都に誕生
- 1953年『曽根崎心中』のお初で「扇雀ブーム」を巻き起こし、生涯1401回の当たり役に
- 1990年に三代目中村鴈治郎、2005年に231年ぶりとなる大名跡「坂田藤十郎」を四代目として襲名
- 1981年に「近松座」を旗揚げし、近松門左衛門作品の復活上演や海外公演で上方歌舞伎を広めた
- 1994年に人間国宝、2003年に文化功労者、2009年に文化勲章を受章
- 長男は四代目中村鴈治郎、次男は三代目中村扇雀。妻は元参議院議長の扇千景、妹は女優の中村玉緒
- 2020年11月12日、88歳で老衰のため死去
二代目中村扇雀として一世を風靡し、三代目中村鴈治郎、そして四代目坂田藤十郎として大名跡を231年ぶりに復活させた坂田藤十郎。
その生涯は、上方和事の芸を後世に伝え、近松門左衛門の作品世界を掘り起こし、海外にも歌舞伎の魅力を伝え続けた、上方歌舞伎への深い愛情に貫かれていました。
息子・四代目中村鴈治郎をはじめとする一族の役者たちが、その芸と志を受け継ぎ、これからも舞台に立ち続けます。
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