歌舞伎の立ち回り(殺陣)を観ていると、斬られ役や捕り手が敵に投げられたり蹴られたりした瞬間、勢いよく飛び上がって尻もちをつき、両足をパッと開いて前に投げ出す動きを目にすることがあります。
この、様式化された“尻もちの型”が「ぎば」です。
漢字表記はなく、ひらがなで「ぎば」、あるいはカタカナで「ギバ」と表記されます。
この記事では、ぎばの意味や種類、立ち回り全体の中での役割、とんぼや見得との違い、観劇時にどこに注目すればよいかまで、初心者にもわかりやすく解説します。
ぎばとは?立ち回りで見せる「尻もちの型」
まず、「ぎば」がどのような動きを指す言葉なのか、辞書の説明を見てみましょう。
投げられたり蹴られたりしたときに、飛び上がって尻もちをつき、足を開いて前に投げ出す動作。
つまりぎばとは、立ち回りの中で「やられ役」が敵の攻撃を受けた瞬間に見せる、痛みや衝撃を誇張して表現するための決まった型(かた)のひとつです。
実際にその場でリアルに尻もちをついているわけではなく、あらかじめ稽古で身体に染み込ませた“決まった落ち方”を、音楽や太鼓の音(ツケ)に合わせて瞬間的に決めています。
痛そうに見えて、実は転倒の衝撃を最小限に抑えながら美しく見せる、高度な身体技術の一種です。
ぎばの種類|腹ぎば・胸ぎば・背ぎば・横ぎば
ぎばは、体のどの面を下にして落ちるかによって、次の4種類に分けられています。
| 名称 | 特徴 |
|---|---|
| 腹ぎば | 腹側を下にして落ちる型 |
| 胸ぎば | 胸側を下にして落ちる型 |
| 背ぎば | 背中側を下にして落ちる型 |
| 横ぎば | 体を横向きにして落ちる型 |
敵にどの方向から、どのような技(突き・斬り・蹴りなど)を受けたかによって、これらの型を使い分けます。
同じ「やられる」動作でも、体のどちら側を下にして落ちるかを変えるだけで、観客から見た印象や物語上のニュアンスが変わってくるのが、様式美を大切にする歌舞伎らしいところです。
ぎばの代表例|『義経千本桜』渡海屋・大物浦、知盛の「背ギバ」
数あるぎばの中でも屈指の名場面として知られるのが、『義経千本桜』二段目「渡海屋・大物浦」で、平知盛(渡海屋銀平)が見せる「背ギバ」です。
国立劇場「文化デジタルライブラリー」では、この場面が次のように解説されています。
碇綱(いかりづな)を自らの身に巻き、碇を海に投げ込んだ知盛が、綱に引っ張られて海に消える時、背中から海に落ちて行きます。これが知盛の一番の見せ場、背ギバです。
義経を討ち取れなかった無念を抱えたまま瀕死の重傷を負った知盛が、大きな碇に体を巻きつけ、その重みごと背中から海へ身を投げていく、壮絶な最期の場面です。
豪快に宙を舞って背中から落ちていく一瞬に、知盛の無念と壮絶な最期が凝縮されており、「ぎばとは何か」を説明する際にもしばしば引き合いに出される、屈指の実例といえます。
「渡海屋・大物浦」のあらすじや見どころについては、こちらの記事で詳しく解説しています。

立ち回りとは|約200種の型を組み合わせる歌舞伎の殺陣
ぎばは単独で存在する動きではなく、「立ち回り(たちまわり)」と呼ばれる、歌舞伎独特の様式化された殺陣(たて)の中で使われる型のひとつです。
歌舞伎の立ち回りは、やまがた・天地・からうす・かすみ・やなぎ・胸止め・千鳥・振り込み頭払いといった、およそ200種類ほどの手法を組み合わせて成り立っているとされています。
これらの型は、剣術の実際の動きをそのまま再現するのではなく、「美しく見せる」「物語の緊迫感を伝える」ことを目的に、長い年月をかけて様式として磨き上げられてきたものです。
ぎばも、この立ち回りの型の体系の中に位置づけられる技巧のひとつであり、斬られ役・やられ役が敵の力の強さや技の鋭さを、身体全体を使って観客に伝えるための重要な見せ場になっています。
こうした型の体系は、江戸時代を通じて数多くの役者・振付師の工夫が積み重ねられ、今日まで受け継がれてきたものです。
刀を使った時代物の捕物場面はもちろん、素手での喧嘩を描く世話物の立ち回りでも、程度の差こそあれ、こうした様式化された型が土台になっています。
立ち回り全体の様式や「型」という考え方について詳しく知りたい方は、こちらの記事もあわせてご覧ください。

なぜ様式化された型が生まれたのか|怪我を防ぎながら美しく見せる工夫
ぎばのように「投げられる」「蹴られる」動作をあえて型として決めておく背景には、二つの理由があると考えられます。
ひとつは、素の状態で本当に投げ飛ばされたり倒れ込んだりすれば、役者が怪我をする危険が高いという実際的な理由です。
あらかじめ落ち方の型を稽古で体に染み込ませておくことで、衝撃を分散させながら安全に「やられる」演技ができるようになります。
もうひとつは、歌舞伎が写実(リアルさ)よりも様式美を重んじる芸能だという理由です。
実際の喧嘩や斬り合いをそのまま舞台に持ち込んでも、暗くなりがちで美しさに欠けます。
そこで、痛みや衝撃という本来は美しくない出来事を、飛び上がる高さや足の開き方、体の落とし方まで細部にわたって様式化することで、立ち回り全体をひとつの「見せ場」として成立させているのです。
役者にとってぎばは、単に後ろに転がる動作ではありません。
ツケの音に合わせて正確なタイミングで飛び上がり、床に強く体を打ちつけずに衝撃を殺しながら、なおかつ客席から美しく見える角度で止める、という高度な身体コントロールが求められます。
特に捕り手役は、一つの立ち回りの中で何度もぎばやとんぼを繰り返すため、日頃の稽古で受け身の感覚を徹底的に鍛えています。
とんぼ・見得との違い|似ているようで役割が異なる型
立ち回りの中でぎばとよく一緒に語られる型に、「とんぼ」と「見得」があります。
いずれも立ち回りの見せ場を彩る型ですが、それぞれ役割が異なります。
| 型の名前 | 動きの特徴 | 主な役割 |
|---|---|---|
| ぎば | 飛び上がって尻もちをつき、両足を開いて投げ出す | 投げられた・蹴られた衝撃を表現 |
| とんぼ | 宙で一回転して着地する、いわゆる宙返り | 斬られた勢い・吹っ飛んだ様子を大きく誇張して表現 |
| 見得 | 動きを止め、目や首、体全体で決めのポーズを取る | 感情の高まりや場面の緊迫感を静止した形で強調 |
ぎばととんぼは、どちらも「攻撃を受けた側」が見せる型という点では共通していますが、ぎばが“尻もちをつく”という比較的低い動きであるのに対し、とんぼは体全体を宙に投げ出す、より大きく派手な動きです。
立ち回りの中では、ぎばのような小さな型からとんぼのような大きな型まで、緩急をつけて組み合わせることで、単調にならない見応えのある殺陣が作られています。
とんぼの意味や種類、実演する役柄については、こちらの記事で詳しく解説しています。

また、立ち回りの合間には、動きをぴたりと止める「見得」が挟まれることもあります。
見得については、こちらの記事で詳しく解説しています。

人形浄瑠璃(文楽)にも共通する「ぎば」
「ぎば」という呼び名は、歌舞伎だけでなく人形浄瑠璃(文楽)でも使われています。
人形が同じように尻もちをつく動作を「ぎば」と呼ぶことがあります。
歌舞伎と人形浄瑠璃は、義太夫節に乗せて物語が進む「義太夫狂言(丸本物)」を中心に、演目や演出の型が互いに影響し合いながら発展してきました。
立ち回りの型に共通の名称が使われているのも、こうした二つの芸能の深い結びつきを表しているといえるでしょう。
丸本物について詳しく知りたい方は、こちらの記事もあわせてご覧ください。

ぎばを見せるのは誰?立役・敵役と立ち回りの関係
立ち回りは、主役級の立役(たちやく)が、大勢の捕り手や雑兵を相手に華麗に立ち回る場面で見せ場になることが多く、ぎばのようなやられ役の型は、主に立役に切られたり投げ飛ばされたりする「捕り手」「小悪党」役が担います。
一人の主役がテンポよく多数の敵を次々と倒していく立ち回りでは、やられ役それぞれがぎばやとんぼといった型を巧みに使い分け、パターンが単調にならないよう工夫されています。
主役の強さや格好よさは、やられ役の見せる型の美しさや息の合ったタイミングがあってこそ、より一層引き立つのです。
立役の種類や役割については、こちらの記事で詳しく解説しています。

観劇で注目したいポイント|ぎばをより楽しむ見方
立ち回りの場面でぎばに注目するときは、まず落ちる瞬間のタイミングに目を向けてみましょう。
ツケ(拍子木を舞台の床に打ちつけて音を出す効果音)の「バタバタッ」という音に合わせて、寸分の狂いなく飛び上がり、尻もちをつく瞬間の呼吸の合い方が見どころです。
また、一人の役者が何度も繰り返しぎばを見せる場合、少しずつ体の向きや落ち方(腹ぎば・胸ぎば・背ぎば・横ぎば)を変えていることに気づくと、単調に見えていた立ち回りの奥深さが見えてきます。
捕り手同士がぶつからないよう計算された立ち位置や、複数の役者が息を合わせて次々と型を決めていく群舞のような美しさにも、ぜひ注目してみてください。
立ち回りは、花道や本舞台を大きく使い、主役を中心に何人もの捕り手が入れ替わり立ち替わり技を仕掛けては、ぎばやとんぼで吹っ飛ばされていく、テンポの良い流れで進みます。
一人ひとりの落ち方をじっくり目で追うだけでなく、全体を俯瞰して眺めると、まるで一つの振付作品のように計算された構成美が見えてきます。
初めのうちは主役の動きに目を奪われがちですが、慣れてきたら、あえて脇でやられ役を演じる役者の型にも意識を向けてみると、立ち回りの見方がぐっと広がります。
立ち回りと同様に、複数の役者が息を合わせて見せる様式美の場面としては、暗闇の中で手探りに探り合う「だんまり」も有名です。
あわせて観劇すると、歌舞伎ならではの様式的な身体表現の幅広さがより実感できます。

初心者向けに歌舞伎の「型」の見どころをまとめた記事もありますので、あわせてご覧ください。

立ち回りを組み立てる「立師」という仕事
ぎばやとんぼをはじめとした約200種類もの型を、どのタイミングで、誰が、どう組み合わせるか。
その振付を専門に手がけるのが「立師(たてし)」と呼ばれる役割です。
立師は、演目の内容や主役の役柄、出演する役者の人数や体格まで踏まえたうえで、危険がなく、なおかつ観客の目を引きつける立ち回りの流れを組み立てます。
ぎばのような一つ一つの型そのものは、長い年月をかけて先人たちが完成させてきたものですが、それらをどの順番でどう見せるかという「構成」は、演目ごと・上演ごとに立師によって工夫されています。
同じ演目でも上演のたびに立ち回りの印象が微妙に異なるのは、こうした振付の妙によるところが大きいのです。
立ち回りの場面を観るときは、個々の型の美しさだけでなく、それらがどうつながって一つの流れを作っているかという「構成」にも目を向けてみると、より深く楽しめます。
歌舞伎をもっと楽しむためのおすすめ本
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よくある質問(FAQ)
- ぎばとはどういう意味ですか?
-
ぎばとは、歌舞伎の立ち回りで、投げられたり蹴られたりした役者が飛び上がって尻もちをつき、両足を開いて前に投げ出す型のことです。
敵から受けた攻撃の衝撃を、様式的な動きで誇張して表現します。 - ぎばにはどんな種類がありますか?
-
体のどの面を下にして落ちるかによって、腹ぎば・胸ぎば・背ぎば・横ぎばの4種類に分けられます。
敵から受けた技の方向や種類に応じて使い分けられます。 - ぎばととんぼはどう違うのですか?
-
ぎばは飛び上がって尻もちをつく、比較的小さな型です。
一方のとんぼは、体全体を使って宙で一回転する宙返りの型で、より大きく派手な動きになります。
立ち回りでは、両者を組み合わせて緩急をつけています。 - ぎばは誰が見せる型ですか?
-
主に、主役級の立役に斬られたり投げ飛ばされたりする捕り手や敵役のやられ役が見せる型です。
やられ役の型の美しさによって、主役の立ち回りの格好よさもより引き立ちます。 - ぎばは歌舞伎以外でも使われる言葉ですか?
-
はい。
人形浄瑠璃(文楽)でも、人形が同じように尻もちをつく動作を「ぎば」と呼びます。
義太夫節を軸に発展してきた歌舞伎と人形浄瑠璃の結びつきの深さを示す一例です。
歌舞伎が初めての方へ
歌舞伎自体が初めてだと「どう観ればいいの?」と迷うこともあるかもしれません。
歌舞伎には独特の約束ごとや表現がありますが、基本を少し知っておくだけで、面白さがぐっと伝わりやすくなります。
歌舞伎とは?初心者向けにわかりやすく解説

まとめ|ぎばは立ち回りを彩る様式美の型
ぎばについて振り返ると、次のようにまとめられます。
- ぎばとは、投げられたり蹴られたりした際に飛び上がって尻もちをつき、足を開いて前に投げ出す型
- 体の下にする面によって、腹ぎば・胸ぎば・背ぎば・横ぎばの4種類に分けられる
- 代表例は『義経千本桜』渡海屋・大物浦で知盛が見せる「背ギバ」
- 約200種類ある立ち回りの型のひとつで、とんぼ・見得などと組み合わされる
- 主に立役に立ち向かう捕り手・敵役のやられ役が見せる
- 人形浄瑠璃(文楽)でも同じ名称の型が使われている
ぎばは、立ち回りの中では一瞬で通り過ぎてしまう小さな型ですが、そこには痛みや衝撃をいかに美しく見せるかという、歌舞伎の様式美の工夫が凝縮されています。
次に立ち回りの場面を観るときは、主役の華やかな動きだけでなく、周りでぎばやとんぼを決めるやられ役の呼吸やタイミングにも、ぜひ目を向けてみてください。
これまでとは違った角度から、立ち回りの奥深さを楽しめるはずです。
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