宙乗りを5000回以上つとめ、ギネス世界記録に登録された役者がいます。
「スーパー歌舞伎」を生み出し、古典の枠を超えた新しい歌舞伎を切り拓いた二代目市川猿翁(いちかわ えんおう)、旧名・三代目市川猿之助です。
2023年9月13日、83歳でその生涯を閉じました。
この記事では、三代目市川猿之助として過ごした49年間の歩みから、宙乗り・早替わりといった革新的な演出、1986年『ヤマトタケル』に始まるスーパー歌舞伎の創始、そして2012年の澤瀉屋三代同時襲名まで、二代目市川猿翁の生涯と功績をまとめて解説します。
「歌舞伎界のピカソ」とも評されたその型破りな役者人生は、現在も上演され続けるスーパー歌舞伎や、実子・九代目市川中車、甥・四代目市川猿之助へと受け継がれています。
没後も語り継がれる功績を、一次資料をもとに順を追って見ていきましょう。
市川猿翁(二代目)プロフィール・家系図
| 本名 | 喜熨斗政彦(きのし まさひこ) |
| 生年月日 | 1939年(昭和14年)12月9日 |
| 没年月日 | 2023年(令和5年)9月13日(83歳没) |
| 出身 | 東京都 |
| 屋号 | 澤瀉屋(おもだかや) |
| 定紋 | 澤瀉、三ツ猿 |
| 初舞台 | 1947年1月、東京劇場『壽式三番叟』の附千歳で三代目市川團子を名のり初舞台 |
| 主な襲名歴 | 1963年5月 三代目市川猿之助を襲名(歌舞伎座) 2012年6・7月 二代目市川猿翁を襲名 |
二代目市川猿翁は、三代目市川段四郎の長男として東京に生まれました。
実子は俳優「香川照之」としても知られる九代目市川中車で、2012年の三代同時襲名では親子そろって新しい名跡を名のっています。
また、甥(弟の子)にあたる四代目市川猿之助も同じ2012年に猿之助の名跡を継いでおり、澤瀉屋一門の世代交代がこの年に一気に進んだ形になります。
「猿翁」という名―祖父から49年越しに継いだ隠居名
「猿翁」は、猿之助を襲名する前は二代目市川猿之助として活躍していた祖父が、晩年に名乗った隠居名です。
この祖父が初代市川猿翁にあたります。
初代猿翁は、宙乗りや早替わりといった革新的な演出を積極的に取り入れた役者としても知られ、澤瀉屋の芸風の礎を築いた人物でした。
1963年に三代目市川猿之助を襲名した孫が、49年の時を経た2012年、祖父と同じ「猿翁」の名を二代目として継いだことになります。
宙乗りやケレンを愛した芸風が祖父から孫へと確かに受け継がれていたことを象徴する襲名だったともいえるでしょう。
三代目市川段四郎の長男として―初舞台から三代目市川猿之助襲名まで
1939年12月9日、澤瀉屋の名跡を継ぐ家に生まれた猿翁は、1947年1月、東京劇場の『壽式三番叟』で附千歳を演じ、三代目市川團子として初舞台を踏みました。
まだ幼い頃から歌舞伎の舞台に立ち、澤瀉屋の跡取りとして芸を磨いていくことになります。
1963年5月、歌舞伎座にて23歳で三代目市川猿之助を襲名します。
この襲名披露公演では、祖父である初代猿翁の当たり役だった『黒塚』を初役で踊りました。
以後2012年に猿翁を襲名するまでの49年間、「市川猿之助」の名で歌舞伎界に新風を吹き込み続けました。
宙乗り5000回超―ギネス世界記録に登録された”ケレン”の技
三代目猿之助の名を一躍広めたのが、1968年の『義経千本桜』で披露した「宙乗り」です。
役者がワイヤーで吊られ客席の上を飛ぶように移動するこの演出は、それまで一部の演目に限られていた見せ場でしたが、猿之助はこれを自身の代名詞といえる技へと磨き上げました。
生涯にわたって宙乗りを演じ続け、その回数が5000回を超えたことでギネス世界記録に登録されています。
宙乗りに加えて、一瞬で衣裳が変わる「早替わり」や、舞台上に本物の水を使う「本水」など、古典歌舞伎の様式美とは異なる視覚的な驚きを重視した”ケレン”の演出を数多く手がけたことも、猿之助歌舞伎の大きな特徴でした。
一方で古典の演目でも高い評価を得ており、『義経千本桜』の狐忠信や、祖父ゆずりの『黒塚』など、様式美を極めた舞踊の名手としても知られていました。
1986年『ヤマトタケル』―スーパー歌舞伎の創始
猿之助の名を歌舞伎史に刻むことになったのが、1986年に新橋演舞場で初演された『ヤマトタケル』です。
哲学者・梅原猛が猿之助のために書き下ろしたこの作品を自ら演出・主演し、「スーパー歌舞伎」という新しいジャンルを創始しました。
スーパー歌舞伎は「スピード」「ストーリー」「スペクタクル」の3Sをモットーに掲げ、古典歌舞伎の様式を踏まえながらも、現代の観客にもわかりやすい物語性と視覚的な迫力を追求した新作歌舞伎です。
『ヤマトタケル』はその後もシリーズとして繰り返し上演され、近年も澤瀉屋の役者たちによって受け継がれる代表作となっています。
国内での成功にとどまらず、フランスやドイツをはじめとする海外での歌舞伎公演も精力的に行い、歌舞伎という日本の伝統芸能を世界に広める役割も果たしました。
また1984年にはパリでオペラ『コックドール』、1992年にはバイエルン国立歌劇場制作の『影のない女』の演出も手がけており、その活動の幅広さから「歌舞伎界のピカソ」と評されることもあります。
スーパー歌舞伎の代表作品―『ヤマトタケル』から『新・三国志』まで
『ヤマトタケル』の成功を機に、猿之助はスーパー歌舞伎をシリーズ化していきます。
『オグリ―小栗判官―』『八犬伝』『カグヤ』『オオクニヌシ』『リュウオー―龍王―』、そして『新・三国志』シリーズなど、日本の神話や中国の古典を題材にした作品を次々と発表しました。
いずれの作品にも共通するのは、歌舞伎になじみのない観客でも物語を追いやすいわかりやすい筋立てと、宙乗りや大掛かりな舞台装置による視覚的な迫力です。
「難しそう」というイメージから歌舞伎を敬遠していた層を劇場に呼び込み、後の歌舞伎の裾野を広げるうえで大きな役割を果たした功績といえます。
重要無形文化財保持者、文化功労者としての功績
古典の継承と新作の創造という両面での功績が認められ、1972年には歌舞伎の重要無形文化財保持者(総合認定)として伝統歌舞伎保存会の会員に認定されました。
1976年度には芸術選奨新人賞を受賞するなど、若手時代から高い評価を受けています。
その後も活動を重ね、2010年には文化功労者に選出されました。
海外公演での功績からフランス文化芸術勲章も受章しており、国内外から歌舞伎界を代表する存在として評価され続けてきたことがうかがえます。
これらの受賞歴は、古典の継承者としての実力と、新作の創造者としての功績の両方が高く評価された結果といえるでしょう。
2012年、澤瀉屋三代同時襲名―自身は「猿翁」、実子・甥へ名跡を継承
2012年6月・7月、猿之助は祖父である初代の隠居名にあたる「市川猿翁」を二代目として襲名します。
このとき同じ舞台で、実子の香川照之が九代目市川中車を、甥にあたる市川亀治郎が四代目市川猿之助を、それぞれ同時に襲名しました。
ひとつの一門から三人の役者が同じ機会に新しい名跡を名のる「三代同時襲名」は歌舞伎界でも異例の出来事で、大きな話題を呼びました。
特に香川照之は俳優として実績を積んだうえで46歳という異例の年齢で歌舞伎入りしており、澤瀉屋の芸が親子二代にわたって受け継がれる象徴的な瞬間でもありました。
私生活―浜木綿子との結婚と、藤間紫との35年
舞台の外では、私生活でも大きな転機を経験しています。
1965年、元宝塚歌劇団トップ娘役の浜木綿子と結婚し、翌年には長男・香川照之(後の九代目市川中車)が誕生しました。
しかし夫婦としての生活は長くは続かず、1968年に離婚しています。
その後、日本舞踊家の藤間紫と長年にわたって連れ添い、2000年に正式に入籍しました。
藤間紫は2009年に肝不全のため先立っており、猿翁にとっては芸の面でも私生活の面でも、生涯の伴侶と呼べる存在だったといえるでしょう。
病と最後の舞台、2023年の死去
華々しい実績の一方で、晩年は病気との闘いも続きました。
2003年に脳梗塞を患って療養生活に入りました。
それでも2012年の襲名披露公演では舞台に復帰し、澤瀉屋三代同時襲名という大きな節目を自らの目で見届けました。
2013年12月、京都・南座の顔見世興行で行われた襲名披露口上への出演が、結果として最後の舞台となりました。
以後は療養に専念し、公の場に姿を見せる機会は少なくなっていきます。
2023年9月13日、不整脈のため東京都内で死去、83歳でした。
没後には従四位、旭日中綬章が贈られ、その功績が改めて称えられています。
よくある質問(FAQ)
- 二代目市川猿翁はどんな役者ですか?
-
三代目市川猿之助として49年間活躍し、2012年に祖父の名跡「猿翁」を二代目として襲名した歌舞伎役者です。
宙乗りや早替わりといった”ケレン”の演出を得意とし、1986年には新ジャンル「スーパー歌舞伎」を創始しました。 - スーパー歌舞伎を創始したのはいつですか?
-
1986年、新橋演舞場で初演された『ヤマトタケル』が最初の作品です。
「スピード」「ストーリー」「スペクタクル」の3Sを掲げ、古典歌舞伎になじみのない観客にもわかりやすい新作歌舞伎として創始しました。 - 宙乗りは何回行ったのですか?
-
生涯で5000回を超える宙乗りを演じ、ギネス世界記録に登録されています。
1968年の『義経千本桜』で披露して以降、自身の代名詞といえる技として磨き上げました。 - 二代目市川猿翁の実子は誰ですか?
-
俳優の香川照之としても知られる九代目市川中車です。
2012年の澤瀉屋三代同時襲名では、親子そろって新しい名跡を襲名しました。 - 二代目市川猿翁はいつ亡くなりましたか?
-
2023年(令和5年)9月13日、不整脈のため東京都内で死去しました。83歳でした。
没後には従四位、旭日中綬章が贈られています。 - 「猿翁」という名前はどこから来ているのですか?
-
「猿翁」はもともと祖父(初代市川猿翁)が晩年に名乗った隠居名です。
1963年に三代目市川猿之助を襲名した孫が、49年後の2012年に祖父と同じ「猿翁」を二代目として継ぎました。
歌舞伎が初めての方へ
歌舞伎自体が初めてだと「どう観ればいいの?」と迷うこともあるかもしれません。
歌舞伎には独特の約束ごとや表現がありますが、基本を少し知っておくだけで、面白さがぐっと伝わりやすくなります。
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まとめ―スーパー歌舞伎が遺したもの
二代目市川猿翁は、古典歌舞伎の担い手でありながら、宙乗りや早替わりといったケレンの技を極め、スーパー歌舞伎という新しいジャンルを切り拓いた役者でした。
古典を守るだけにとどまらず、常に新しい観客層に向けて歌舞伎の可能性を広げ続けた生涯だったといえます。
『ヤマトタケル』をはじめとするスーパー歌舞伎の演目は、澤瀉屋の後進たちによって現在も上演が続けられています。
実子である九代目市川中車や、甥にあたる四代目市川猿之助へと受け継がれた澤瀉屋の芸を通じて、二代目市川猿翁が切り拓いた歌舞伎の新しい地平を、これからも劇場で確かめることができます。
「わかりやすいストーリーと視覚的な驚きで、歌舞伎を敬遠していた層を劇場に呼び込む」というスーパー歌舞伎の発想は、令和の新作歌舞伎の潮流にも大きな影響を与え続けています。
宙乗り5000回という記録とともに、二代目市川猿翁が歌舞伎界に遺した功績は、これからも色あせることなく語り継がれていくことでしょう。
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