「音羽屋!」「成田屋!」——歌舞伎座で舞台が盛り上がる場面になると、客席から役者の「屋号」を呼ぶ声が飛びます。
この記事では、歌舞伎の屋号とは何かという基本から、代表的な屋号と当代の役者、定紋(じょうもん)まで、まとめて解説します。
屋号を知っておくと、大向う(おおむこう、客席から声をかける観客)の掛け声の意味がわかるようになり、歌舞伎座での観劇が何倍も楽しくなります。
気になる役者の屋号から、ぜひチェックしてみてください。
歌舞伎の屋号とは?
屋号とは、歌舞伎役者の家系が代々名乗る「家の呼び名」のことです。
もともと江戸時代、武士や公家以外の庶民は苗字を公に名乗ることができませんでした。
そのため商人が屋号を掲げて商売をしたのと同じように、歌舞伎役者も屋号を掲げて活動するようになったのが始まりとされています。
屋号は、役者の芸名(市川團十郎、尾上菊五郎など)とは別に、その家系全体を指す呼び名として使われます。
同じ屋号を名乗る役者たちは、多くの場合、血縁関係や師弟関係で結ばれた一門であり、家の芸(代々受け継がれてきた得意演目)を共有していることも少なくありません。
現在、屋号が最も活躍する場面が「大向う」の掛け声です。
役者が花道の七三(しちさん)で見得を切る瞬間や、名台詞を言う直前など、芝居が盛り上がる絶妙なタイミングで、客席から「成田屋!」「音羽屋!」といった屋号の掛け声がかかります。
これは単なる応援ではなく、芝居のリズムを作る演出の一部としても重要な役割を果たしています。
屋号は掛け声だけでなく、舞台の引幕や手拭い、扇子といったグッズにもデザインとして取り入れられています。
贔屓の役者の屋号にちなんだ手拭いを集めるのも、歌舞伎ファンならではの楽しみ方のひとつです。
楽屋暖簾や祝儀の品にも定紋があしらわれることが多く、劇場に足を運んだ際はぜひ探してみてください。

主な屋号一覧|代表的な役者と定紋
ここからは、現在の歌舞伎界で活躍する役者を中心に、代表的な屋号を紹介します。
定紋(じょうもん)とは、その家を象徴する家紋のことで、舞台の引幕や手拭いなどでも見かける機会が多いものです。
成田屋(なりたや)
歌舞伎界随一の大名跡「市川團十郎」を筆頭とする屋号です。
定紋は「三桝(みます)」で、「マス」の音が「増す」に通じる縁起の良い紋として親しまれています。
屋号の由来は、初代團十郎が成田山新勝寺に子宝祈願をして二代目を授かったことへの感謝から、成田不動明王を題材にした演目を上演し大当たりしたことにあります。
当代は市川團十郎(十三代目)、その長男は市川新之助(八代目)です。
『暫』『勧進帳』『助六』をはじめとする「歌舞伎十八番」は、成田屋が代々受け継いできた家の芸として知られています。
音羽屋(おとわや)
「尾上菊五郎」の名跡を中心とする屋号です。
定紋は「重ね扇に抱き柏(かさねおうぎにだきかしわ)」で、初代尾上菊五郎が将軍から柏餅を扇に乗せて拝領したという逸話が由来とされています。
当代は尾上菊五郎(八代目)で、息子は六代目尾上菊之助を名乗っています。
同じ音羽屋には尾上右近(二代目)、尾上辰之助(三代目)、尾上松緑といった役者もいます。
河竹黙阿弥の世話物や、『藤娘』『鏡獅子』などの女方舞踊を得意とする一門です。
高麗屋(こうらいや)
「松本幸四郎」「松本白鸚」「市川染五郎」と、三つの名跡を代々巡って襲名していくことで知られる屋号です。
定紋は「三つ銀杏」、替紋は「四つ花菱」。
由来には諸説ありますが、初代松本幸四郎が佐原の小間物屋「高麗屋」に奉公していたことにちなむという説が有力です。
当代は松本幸四郎(十代目)、その長男は市川染五郎(八代目)です。
2018年には祖父・父・本人の三代が同時に名前を改める「高麗屋三代同時襲名」が行われ、大きな話題となりました。
松嶋屋(まつしまや)
「片岡仁左衛門」を筆頭とする屋号です。
定紋は「七つ割丸に二引(ななつわりまるににひき)」で、足利将軍家も好んで用いた引両紋の一種とされています。
当代は片岡仁左衛門(十五代目)で、片岡愛之助(六代目)は仁左衛門の兄・二代目片岡秀太郎の養子にあたります。
坂東玉三郎との「黄金コンビ」でも知られ、『廓文章 吉田屋』などの和事(わごと)を得意とします。
播磨屋(はりまや)
初代中村歌六を祖とし、初代中村吉右衛門らを輩出してきた屋号です。
定紋は「揚羽蝶(あげはちょう)」。
羽をたたんで上に上げた姿の蝶をかたどった紋で、公家・武家を問わず古くから親しまれてきました。
現在は中村歌六、中村又五郎、中村歌昇、中村種之助といった役者が播磨屋を名乗っています。
時代物の重厚な役どころを得意とする家として知られています。
中村屋(なかむらや)
江戸三座のひとつ「中村座」の座元を務めた初代中村勘三郎に由来する屋号です。
定紋は「角切銀杏(すみきりいちょう)」。
もともとは「丸の中に舞鶴」でしたが、将軍家に鶴姫が誕生した際に鶴の使用が控えられ、現在の銀杏紋に改められたと伝えられています。
当代は中村勘九郎(六代目)、弟は中村七之助(二代目)です。
十八代目中村勘三郎ゆかりの家として、コクーン歌舞伎など新しい試みにも積極的に取り組んできた一門です。
澤瀉屋(おもだかや)
「市川猿之助」を中心とする屋号です。
定紋は水生植物をかたどった「澤瀉紋(おもだかもん)」で、「勝軍草」の異名から古くは武人にも好まれた紋とされています。
市川中車(俳優の香川照之)の息子である市川團子(五代目)も澤瀉屋にあたります。
宙乗りや早替りといったスペクタクル性の高い演出を得意とし、スーパー歌舞伎の中心的な一門でもあります。
大和屋(やまとや)
坂東三津五郎家・坂東玉三郎・岩井半四郎家など、複数の家系が名乗る屋号です。
定紋は坂東家が「三つ大(みつだい)」、岩井家が「丸に三つ扇」と、家によって異なります。
「三つ大」は、屋号の「大和屋」の「大」と、初代坂東三八の「三」を組み合わせたものと伝えられています。
坂東巳之助(二代目)は、日本舞踊・坂東流の家元でもあります。
坂東玉三郎(五代目)も同じ大和屋の屋号を名乗っています。
萬屋(よろずや)
もとは映画スターとして活躍した萬屋錦之介(初代中村錦之助)にちなむ屋号です。
定紋は「桐蝶(きりちょう)」。
1971年に屋号を萬屋へ改め、翌年芸名も萬屋錦之介に改めたことに由来します。
中村獅童(二代目)は萬屋錦之介の甥にあたる血筋で、中村隼人も同じ萬屋の一門です。
歌舞伎の枠を超えて映像業界に多くの人材を輩出してきたことでも知られる家系です。
成駒屋(なりこまや)と成駒家(なりこまや)
読みは同じ「なりこまや」ですが、表記が違う2つの系統が存在する少し珍しい屋号です。
東京の中村歌右衛門・中村芝翫系は「成駒屋」、大阪の中村鴈治郎系は「成駒家」と表記します。
2015年、四代目中村鴈治郎の襲名を機に、一門で「成駒家」を名乗るようになりました。
鴈治郎本人は「成駒屋に遠慮して『家』にしたのではないと思う。
江戸の成駒屋といい意味で区別したい」と語っており、初代中村鴈治郎の時代にも用いられていた「家」の表記を、あえて復活させたという経緯だと説明しています。
中村壱太郎は、この大阪の「成駒家」にあたります。
そのほかの屋号
ここまでに紹介した屋号以外にも、歌舞伎界には数多くの屋号が存在します。
ここでは、比較的よく耳にする屋号をまとめて紹介します。
京屋(きょうや)
中村雀右衛門、中村芝雀、中村京蔵といった名跡が名乗る屋号です。
女方の名門として知られ、気品のある演技で多くの当たり役を生み出してきました。
加賀屋(かがや)
初代・三代目中村歌右衛門、初代・三代目中村芝翫のほか、中村魁春、中村東蔵、中村松江といった名跡が名乗ってきた屋号です。
のちに中村歌右衛門・中村芝翫の主流は成駒屋を名乗るようになりましたが、加賀屋の名は分家筋の名跡に受け継がれています。
高島屋・高嶋屋(たかしまや)
同じ「たかしまや」という読みでも、表記の異なる2つの系統があります。
「高島屋」は市川左團次、市川小團次(四・五代目)などの系統、「高嶋屋」は市川右團次、市川右之助の系統です。
成駒屋・成駒家の関係と同じく、表記の違いに家系を読み解くヒントが隠れています。
紀伊國屋(きのくにや)
澤村宗十郎、澤村田之助、澤村由次郎、澤村藤十郎といった澤村家の名跡が名乗る屋号です。
江戸歌舞伎の名門のひとつとして、古くから多くの名優を輩出してきました。
天王寺屋(てんのうじや)
中村富十郎、中村鷹之資といった名跡が名乗る屋号です。
舞踊の名手として知られた初代中村富十郎以来、格調高い芸で知られる家系です。
河内屋(かわちや)
実川延若、実川延二郎といった上方歌舞伎の名跡が名乗ってきた屋号です。
上方和事の伝統を受け継ぐ家系として知られています。
山崎屋(やまざきや)
河原崎権十郎、河原崎長十郎、河原崎国太郎といった名跡が名乗る屋号です。
江戸三座のひとつ「森田座」の座元を務めた河原崎座にゆかりのある家系です。
美吉屋(みよしや)
上村吉弥、上村純弥、そして上村吉太朗が名乗る屋号です。
定紋は「折敷型(おりしきかた)世(よ)の字」で、上方歌舞伎の一門として活躍しています。
ここまで紹介した屋号だけでも20を超えますが、歌舞伎役者の屋号は過去に存在したものも含めると50以上にのぼるといわれています。
気になる役者を見つけたら、ぜひその屋号のルーツもたどってみてください。
屋号と「家の芸」の関係
屋号を持つ家の多くは、代々受け継いできた得意演目「家の芸」を持っています。
成田屋の「歌舞伎十八番」、音羽屋の「新古演劇十種」、播磨屋の「秀山十種」などがその代表例です。
興味深いのは、同じ屋号でも一門によって得意な芸風が異なる点です。
荒事を得意とする成田屋、女方舞踊に定評のある音羽屋、和事の松嶋屋というように、屋号を見るだけである程度その役者の芸の系統を推測できることもあります。
それぞれの家の芸について詳しく知りたい方は、以下の記事もあわせてご覧ください。








まとめ|屋号を知ると歌舞伎がもっと楽しくなる
- 屋号は、江戸時代に苗字を名乗れなかった役者たちが商家にならって掲げた「家の呼び名」
- 大向うの掛け声として、芝居の盛り上がる場面で客席から呼ばれる
- 成田屋(市川團十郎)、音羽屋(尾上菊五郎)、高麗屋(松本幸四郎)、松嶋屋(片岡仁左衛門)など、それぞれに定紋と得意の芸がある
- 京屋・加賀屋・紀伊國屋・天王寺屋・河内屋・山崎屋・美吉屋など、屋号は50以上存在するといわれる
- 「成駒屋」と「成駒家」、「高島屋」と「高嶋屋」のように、同じ読みで表記が異なる屋号も存在する
- 屋号を知ると、家の芸や役者どうしの関係性が理解しやすくなる
屋号は、歌舞伎という伝統芸能が四百年近くにわたって家から家へと芸を受け継いできた証でもあります。
次に歌舞伎座を訪れる際は、ぜひ贔屓の役者の屋号を覚えて、大向うの掛け声にも耳を澄ませてみてください。
プログラムやチラシに記された屋号にも、これまで以上に注目したくなるはずです。
よくある質問(FAQ)
- 歌舞伎の屋号とは何ですか?
-
役者の家系が代々名乗る「家の呼び名」です。
江戸時代、苗字を公に名乗れなかった庶民が商家にならって屋号を掲げたことに由来します。 - 市川團十郎の屋号は何ですか?
-
成田屋(なりたや)です。
定紋は三桝(みます)で、成田山新勝寺への子宝祈願にまつわる逸話が由来とされています。 - 屋号はどんな時に使われますか?
-
主に「大向う」と呼ばれる客席からの掛け声として使われます。
役者が見得を切る瞬間など、芝居が盛り上がるタイミングで「成田屋!」のように呼ばれます。 - 「成駒屋」と「成駒家」は何が違いますか?
-
読みはどちらも「なりこまや」ですが、東京の中村歌右衛門・中村芝翫系は「成駒屋」、大阪の中村鴈治郎系は「成駒家」と表記が異なります。
2015年の四代目中村鴈治郎襲名を機に、初代鴈治郎の時代の表記を一門で復活させた形です。 - 屋号と「家の芸」はどう違いますか?
-
屋号は家系全体を指す「呼び名」、家の芸はその家が代々受け継いできた「得意演目」です。
成田屋の歌舞伎十八番のように、屋号ごとに固有の家の芸を持っていることが多くあります。
あわせて読みたい

🎭 観劇のおともに【PR】
※本セクションには広告(Amazonアソシエイト)リンクを含みます。
- 観劇用オペラグラスをAmazonで探す — 3階席・幕見席なら必携。役者の表情や衣装の細部まで楽しめます
- 歌舞伎の入門書・解説本をAmazonで探す — あらすじや約束事を予習しておくと当日の楽しさが段違いです
- Amazonプライム(30日間無料体験) — お急ぎ便が使い放題、Prime VideoやPrime Readingもまとめて使えます
歌舞伎の入門書・解説本も読み放題対象多数。観劇前の予習に
映画・ドラマ・アニメが見放題。まずは30日間の無料体験から


コメント