坂東玉三郎との「黄金コンビ」で知られる片岡仁左衛門(十五代目)。
半世紀以上にわたって数々の舞台を務めてきたなかで、「これぞ仁左衛門」と評される当たり役も少なくありません。
色気を漂わせる若者から、格式高い時代物の大役、道ならぬ恋に生きる男まで、幅広い役どころが当たり役として語り継がれています。
この記事では、片岡仁左衛門の代表的な当たり役を、演目の背景とあわせてわかりやすく解説します。
片岡仁左衛門とは|松嶋屋を代表する立役
片岡仁左衛門(かたおかにざえもん)は、本名を片岡孝夫(かたおかたかお)といい、1944年3月14日生まれ。
屋号は松嶋屋です。
1949年9月、大阪・中座の『夏祭浪花鑑』の市松役で初舞台を踏みました。
1998年に十五代目片岡仁左衛門を襲名するまでは「片岡孝夫」の名で活動しており、歌舞伎の舞台だけでなくテレビドラマや映画でも活躍していた時期があります。
1982年の『眠狂四郎円月殺法』など、剣豪ものへの主演も話題を集めました。
2015年10月には重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、2018年度には文化功労者にも選定されています。
生い立ちや家系図、坂東玉三郎との共演の歴史については、以下の記事で詳しく解説しています。

1998年の襲名についても触れておきましょう。
「当たり役」という言葉は、襲名とも深く関わっています。
名跡を継ぐ俳優は、その名跡にふさわしい役として、代表的な演目に挑むことが多いためです。
歌舞伎の襲名という仕組みそのものについては、以下の記事もあわせてご覧ください。

片岡仁左衛門の当たり役|代表的な役どころ
片岡仁左衛門の当たり役として特に知られているのが、『女殺油地獄』の与兵衛、『菅原伝授手習鑑』の菅丞相、『勧進帳』の弁慶、そして近松門左衛門の名作『心中天網島』(河庄)の紙屋治兵衛です。
色気と愁いを併せ持つ立役から、格調高い時代物の大役、世話物の情感豊かな役どころまで、幅広い役をこなす実力派として高く評価されています。
『女殺油地獄』の与兵衛
『女殺油地獄』は、近松門左衛門による世話物の傑作。
放蕩の末に金に困った若者・河内屋与兵衛が、親しくしていた油屋の女房お吉を殺めてしまうという凄惨な物語です。
与兵衛という役は、単なる悪人としてではなく、追い詰められていく若者の弱さや切なさを併せ持つ難役として知られています。
片岡仁左衛門は、この与兵衛役で高い評価を受けてきました。
色気を漂わせながらも危うさを感じさせる若者像は、仁左衛門ならではの当たり役として語られています。
『菅原伝授手習鑑』の菅丞相
『菅原伝授手習鑑』は、「仮名手本忠臣蔵」「義経千本桜」と並ぶ歌舞伎の「三大丸本物」のひとつに数えられる大作です。
菅原道真をモデルにしたとされる主人公・菅丞相(かんしょうじょう)が、失脚し左遷されていく姿を描きます。
格式の高さと悲哀を同時に表現しなければならない菅丞相は、時代物のなかでも大役中の大役。
片岡仁左衛門は、この重厚な役どころでも高い評価を得ており、当たり役のひとつに数えられています。
若い頃に培った色気だけでなく、風格や貫禄を求められる大役でも実力を発揮できる懐の深さが、この当たり役を支えているといえるでしょう。

『勧進帳』の弁慶
『勧進帳』は、市川團十郎家の家の芸「歌舞伎十八番」のひとつとしても知られる演目です。
源義経一行が奥州へ逃れる道中、安宅の関で武蔵坊弁慶が見せる知略と忠義の物語で、弁慶は歌舞伎のなかでも屈指の難役として知られています。
特定の家の芸に限らず、多くの立役者が挑んできた演目のひとつでもある『勧進帳』。
片岡仁左衛門も、この弁慶役で高い評価を得てきました。
歌舞伎十八番と家の芸の関係については、以下の記事で詳しく解説しています。


『心中天網島』(河庄)の紙屋治兵衛
『心中天網島』は、近松門左衛門による心中物の代表作です。
妻子ある紙屋治兵衛と遊女・小春の道ならぬ恋の果てを描いた物語で、なかでも「河庄」と呼ばれる場面は、二人の心情がぶつかり合う名場面として知られています。
優柔不断さと一途さを併せ持つ治兵衛という役どころは、色気と弱さを表現できる俳優でなければ務まりません。
片岡仁左衛門は、この治兵衛役でも高い評価を受けています。
心中に至るまでの心情がぶつかり合う「河庄」の場については、以下の記事で詳しく解説しています。

『心中天網島』の作者である近松門左衛門は、『女殺油地獄』も手がけており、この二作は片岡仁左衛門の当たり役として並べて語られることも少なくありません。
近松門左衛門という作者そのものについては、以下の記事もあわせてご覧ください。

『霊験亀山鉾』の藤田水右衛門・隠亡の八郎兵衛
『霊験亀山鉾』は、四代目鶴屋南北による仇討物で、実際にあった敵討ち事件「亀山の仇討」を題材にした異色作です。
2023年2月の歌舞伎座では、片岡仁左衛門が敵役の藤田水右衛門と、水右衛門に瓜二つの隠亡の八郎兵衛を一世一代で勤めました。
詳しいあらすじ・登場人物は以下の記事で解説しています。

坂東玉三郎との「黄金コンビ」で生まれた当たり役
片岡仁左衛門の当たり役を語るうえで欠かせないのが、坂東玉三郎との共演によって生まれた役どころです。
初共演は1972年の『廓文章 吉田屋』。
以来半世紀以上にわたって、数々の恋人役・男女の色模様を演じ続けてきました。
『廓文章 吉田屋』の伊左衛門
『廓文章 吉田屋』は、上方の和事(やわらかみのある演技)を代表する演目のひとつ。
零落した若旦那・伊左衛門と、彼を待ち続けた遊女・夕霧の再会を描いた物語です。
片岡仁左衛門と坂東玉三郎の初共演がこの演目だったこともあり、伊左衛門は二人の共演の原点ともいえる役どころです。
上方の和事らしい、やわらかく色気のある演技が求められる伊左衛門役。
片岡仁左衛門ならではの持ち味が生きる当たり役のひとつとして知られています。
若かりし日の共演から半世紀以上を経た現在まで、節目節目でこの演目に立ち返っていることも、二人の関係の深さを物語っています。

『桜姫東文章』の清玄・釣鐘権助
『桜姫東文章』は、四代目鶴屋南北による作品で、片岡仁左衛門は清玄・釣鐘権助の二役を、坂東玉三郎は白菊丸・桜姫の二役を演じます。
2022年には、二人が36年ぶりに共演した舞台がシネマ歌舞伎として映像化されました。
僧侶でありながら道ならぬ恋に落ちる清玄と、荒々しい色悪として登場する権助。
一人二役で対照的な人物を演じ分ける難易度の高い役どころですが、坂東玉三郎の桜姫との息の合った共演もあいまって、片岡仁左衛門の当たり役として高く評価されています。
四代目鶴屋南北については、以下の記事で詳しく解説しています。

このシネマ歌舞伎化のおかげで、歌舞伎座で実際に観劇する機会に恵まれなくても、映画館の大スクリーンでこの当たり役を鑑賞できるようになりました。
36年という歳月を経てなお息の合った共演を見せる二人の姿は、当たり役が一朝一夕には生まれないことをあらためて感じさせてくれます。
当たり役の積み重ねが支えた数々の受賞歴
これらの当たり役を長年にわたって磨き上げてきた実績は、片岡仁左衛門が受けてきた数々の受賞歴にも表れています。
2006年には紫綬褒章を受章し、2018年度には文化功労者に選定されました。
そして2015年10月には、重要無形文化財保持者、いわゆる人間国宝として認定されています。
父である十三代目片岡仁左衛門も、1992年に文化功労者に選定された名優でした。
父子二代にわたって高い評価を受けてきたことは、松嶋屋という家の芸の重みをあらためて感じさせるエピソードといえるでしょう。
晩年に視力を失いながらも舞台に立ち続けたという父の姿を間近で見てきたことも、十五代目自身の役者としてのあり方に少なからず影響を与えているのではないでしょうか。
実際、片岡仁左衛門自身も過去に大病を経験し、生死の境をさまよったこともあったと伝えられていますが、そこから復帰を果たし、現在も現役の立役者として第一線で活躍を続けています。
片岡家の家の芸「片岡十二集」
片岡仁左衛門家には、「片岡十二集」と呼ばれる家の芸があります。
十一代目片岡仁左衛門が、従来の演目に新たな解釈を加えた12の演目を、片岡家のお家芸として制定したものです。
片岡家は、元禄時代から続く上方歌舞伎の伝統を受け継ぐ名門のひとつとして知られています。
片岡十二集のように正式に制定された家の芸と、ここまで紹介してきた個々の当たり役は、必ずしもすべてが一致するわけではありません。
家の芸として代々受け継がれてきた演目とは別に、当代の俳優が個人の実力で新たに評価を勝ち取っていった役どころも、当たり役として数えられていくのです。
家の芸そのものの仕組みについては、以下の記事もあわせてご覧ください。

なぜこれらの役が当たり役と呼ばれるのか
ここまで紹介してきた片岡仁左衛門の当たり役に共通しているのは、いずれも「危うさ」や「色気」を必要とする難しい役どころだという点です。
与兵衛の弱さ、治兵衛の優柔不断さ、清玄・権助の対照的な人物像。
単純な善悪では割り切れない人間らしさを表現できることが、これらの役を当たり役たらしめている理由のひとつだと考えられます。
荒事のような豪快な役柄とは対照的な、内面の葛藤を丁寧に見せる芝居が、片岡仁左衛門という俳優の持ち味と重なっているのでしょう。
当たり役は、俳優本人が名乗るものではなく、観客や評論家の評価によって後から定まっていくものです。
片岡仁左衛門の場合、坂東玉三郎との長年の共演関係が、こうした当たり役をさらに際立たせてきた側面もあるでしょう。
相方あってこその当たり役という見方もできるかもしれません。
また、片岡仁左衛門自身がテレビドラマや映画にも出演してきた経歴を持つことも、見逃せないポイントです。
歌舞伎の様式美のなかに、より自然で人間味あふれる表現を持ち込めることが、これらの当たり役に説得力を与えているのかもしれません。
歌舞伎における「当たり役」や「家の芸」という考え方そのものについては、以下の記事でさらに詳しく解説しています。
あわせてご覧いただくと、片岡仁左衛門の当たり役がなぜ特別なのか、より深く理解できるはずです。
よくある質問(FAQ)
- 片岡仁左衛門の当たり役にはどんな演目がありますか?
-
『女殺油地獄』の与兵衛、『菅原伝授手習鑑』の菅丞相、『勧進帳』の弁慶、『心中天網島』(河庄)の紙屋治兵衛などが代表的な当たり役として知られています。
- 坂東玉三郎との共演で知られる当たり役はありますか?
-
『廓文章 吉田屋』の伊左衛門と、『桜姫東文章』の清玄・釣鐘権助が特に知られています。いずれも坂東玉三郎との半世紀以上にわたる共演のなかで磨き上げられてきた役どころです。
- 『桜姫東文章』はどこで観られますか?
-
2022年に、片岡仁左衛門と坂東玉三郎が36年ぶりに共演した舞台がシネマ歌舞伎として映像化されています。歌舞伎座での上演機会に恵まれなくても、映画館でこの当たり役を鑑賞できます。
- 片岡家の家の芸「片岡十二集」とは何ですか?
-
十一代目片岡仁左衛門が、従来の演目に新たな解釈を加えた12の演目を、片岡家のお家芸として制定したものです。ここで紹介した個々の当たり役とは、必ずしもすべてが一致するわけではありません。
- 片岡仁左衛門はどのような賞を受賞していますか?
-
2006年に紫綬褒章を受章し、2018年度には文化功労者に選定されました。2015年10月には重要無形文化財保持者(人間国宝)にも認定されています。
歌舞伎が初めての方へ
歌舞伎自体が初めてだと「どう観ればいいの?」と迷うこともあるかもしれません。
歌舞伎には独特の約束ごとや表現がありますが、基本を少し知っておくだけで、面白さがぐっと伝わりやすくなります。
歌舞伎とは?初心者向けにわかりやすく解説

まとめ
片岡仁左衛門の当たり役としては、『女殺油地獄』の与兵衛、『菅原伝授手習鑑』の菅丞相、『勧進帳』の弁慶、『心中天網島』(河庄)の紙屋治兵衛などが知られています。
色気と愁いを併せ持つ立役から、格調高い時代物の大役まで、幅広い役どころで高い評価を受けてきました。
また、坂東玉三郎との「黄金コンビ」による共演も、片岡仁左衛門の当たり役を語るうえで欠かせません。
『廓文章 吉田屋』の伊左衛門、『桜姫東文章』の清玄・釣鐘権助など、半世紀以上にわたる共演のなかで、多くの名舞台が生まれてきました。
これらの当たり役に共通するのは、単純な善悪では割り切れない、人間らしい危うさや色気を表現する難しさです。
歌舞伎座や南座など全国各地の劇場で、片岡仁左衛門がこれらの演目に挑む機会があれば、ぜひ注目してみてください。
公演情報を確認する際には、演目名だけでなく、誰が主演を務めるのか、その俳優にとってどのような当たり役なのかにも目を向けてみましょう。
片岡仁左衛門と坂東玉三郎の共演演目であれば、なおのこと見逃せない舞台になるはずです。
当たり役という視点を持つことで、これまでとは違った角度から歌舞伎を楽しめるようになるでしょう。
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