中村吉右衛門(二代目)プロフィール完全解説|人間国宝・当たり役から『鬼平犯科帳』、尾上菊之助との絆まで

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『鬼平犯科帳』の長谷川平蔵役で茶の間にも広く親しまれ、歌舞伎では立役の第一人者として活躍した二代目中村吉右衛門(なかむら きちえもん)
重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、文化功労者にも顕彰された名優ですが、2021年11月28日に77歳で逝去し、多くのファンに惜しまれました。

実父は初代松本白鸚、養父は初代中村吉右衛門という名門に生まれながら、若き日には苦悩の時代も経験し、そこから播磨屋の芸を大きく花開かせた生涯を送りました。
この記事では、吉右衛門の本名・家系図から、当たり役の数々、『鬼平犯科帳』での国民的な人気、そして義理の息子・尾上菊之助や孫・尾上丑之助との絆まで、まとめて解説します。

目次

中村吉右衛門(二代目) プロフィール・家系図

本名波野辰次郎(なみの たつじろう)
生年月日1944年5月22日
没年月日2021年11月28日(77歳没)
出身地東京都千代田区
屋号播磨屋(定紋:揚羽蝶、替紋:村山片喰)
俳名秀山(しゅうざん)
初舞台1948年、東京劇場『俎板長兵衛』で中村萬之助を名乗り初舞台
学歴早稲田大学第一文学部仏文学科中退

吉右衛門は1944年、五代目市川染五郎(のちの初代松本白鸚)の次男として誕生しました。
出生名は藤間久信でしたが、母方の祖父である初代中村吉右衛門の養子となり、戸籍上も波野姓に改めています。
実の兄は二代目松本白鸚(六代目市川染五郎、九代目松本幸四郎から改名)で、兄弟そろって「十代歌舞伎」として人気を博した時代もありました。

のちに、末の娘(四女)が五代目尾上菊之助と結婚し、両者の間に生まれた男児は2019年5月に七代目尾上丑之助として初舞台を踏んでいます。
吉右衛門にとって菊之助は義理の息子、丑之助は初孫にあたり、晩年は孫との共演も大きな喜びだったと伝えられています。

初代吉右衛門の養子として|萬之助から二代目襲名まで

1948年、中村萬之助を名乗り4歳で初舞台を踏むと、翌年『山姥』の怪童丸役で毎日演劇賞演技特別賞を受賞し、早くから天才子役として注目を集めました。
養祖父・初代吉右衛門は孫の萬之助を「坊」と呼んで目に入れても痛くないほど可愛がる一方、芝居となると非常に厳しい師匠になったといいます。

1954年に初代吉右衛門が死去すると、播磨屋の後継者としての自覚を強く持つようになりました。
1966年10月、新装なった帝国劇場のこけら落とし公演にて、22歳で二代目中村吉右衛門を襲名します。
この際、本名も養祖父と同じ「波野辰次郎」に改めました。

思春期には、播磨屋という名前の重さや家庭環境の複雑さに悩む時期もあったといいます。
18歳の頃には役者を辞めて渡仏したいと父・初代白鸚に打ち明けたこともありましたが、父は反対せず「何にでもなっちまいな」と背を向けたと自伝で振り返っています。
その父の背中を見て、波野家と吉右衛門の名跡を継ぐ覚悟を固めたと語っています。

東宝から松竹へ|古典への回帰と苦悩の時代

1961年、実父・八代目松本幸四郎(初代白鸚)、兄・六代目市川染五郎とともに松竹から東宝へ移籍し、東宝劇団で歌舞伎以外の現代劇やミュージカルにも数多く出演しました。
しかし過密なスケジュールから体調を崩し、1971年には過労による疾患でドクターストップがかかり、半年間の療養を余儀なくされています。

1974年、「吉右衛門を継いだ者として、もっと古典を勉強したい」という思いから、父と兄を東宝に残し、単身松竹へ復帰する決断をしました。
この選択について本人は「熊谷が己の子供を我が手にかける決意もかくやと思うほどでした」と、当たり役である熊谷直実になぞらえて振り返っています。
1975年には幼馴染の知佐さんと結婚し、以後、古典歌舞伎の道を歩み続けました。

立役の第一人者としての当たり役

堂々たる体躯と陰影に富む演技で、義太夫狂言・時代物・世話物から新歌舞伎まで、あらゆるジャンルで高い評価を得ました。
「芝居のうまさは現代の歌舞伎役者中では一、二を争う実力」(渡辺保)、「押しも押されもせぬ見事な座頭役者」(福田恒存)と評された当たり役の数々は、以下の通りです。

演目
仮名手本忠臣蔵大星由良之助
勧進帳武蔵坊弁慶
妹背山婦女庭訓(吉野川)大判事清澄
極付幡随長兵衛幡随院長兵衛
一谷嫩軍記(熊谷陣屋)熊谷直実
平家女護島俊寛僧都
菅原伝授手習鑑松王丸・武部源蔵
祇園祭礼信仰記(金閣寺)松永大膳

とりわけ『勧進帳』の武蔵坊弁慶は当たり役中の当たり役で、1986年のNHK新大型時代劇『武蔵坊弁慶』でも主役を演じています。
また歌舞伎の枠にとどまらず、養祖父の名跡である「松貫四(まつ かんし)」を筆名として自ら台本を執筆し、演出も手がけるなど、演者としてだけでなく創作面でも才能を発揮しました。

『鬼平犯科帳』と茶の間の顔

吉右衛門を歌舞伎ファン以外にも広く知らしめたのが、テレビ時代劇『鬼平犯科帳』での長谷川平蔵役です。
原作者・池波正太郎から直々に出演の依頼を受けながらも長い間固辞し続けていましたが、実年齢が平蔵と同じになったことを機に、1989年から出演を決断しました。

以後2016年まで、9シリーズと数本のスペシャル版、あわせて全150本が制作される長期人気シリーズとなり、「鬼平ブーム」と呼ばれる社会現象を巻き起こしました。
実父・初代白鸚もかつて別バージョンの『鬼平犯科帳』で同役を演じており、親子二代にわたる当たり役という点でも話題になりました。
『勧進帳』の弁慶を演じた際、客席から「オニヘーイ」と声がかかったこともあったと本人が語るほど、鬼平のイメージは広く浸透していました。

こんぴら歌舞伎大芝居の復活と秀山祭

吉右衛門は、香川県の国指定重要文化財「旧金毘羅大芝居(金丸座)」で行われる「四国こんぴら歌舞伎大芝居」の復活に深く関わった人物としても知られています。
1985年、第1回公演の立ち上げにあたり、金丸座のためだけの新作を用意すべきという要望に応え、松貫四名義で新作「再桜遇清水」を書き下ろし、演出も自ら担当しました。
スポンサーを募って幟を立てる企画も主導し、目標の500本を大きく上回る1,000本もの幟が立ったといいます。

2006年9月には、養祖父・初代吉右衛門の俳名にちなんだ「秀山祭」を歌舞伎座で始め、2020年まで毎年恒例の公演として定着させました。
秀山祭は吉右衛門の没後も続けられており、2026年も「秀山祭九月大歌舞伎」として毎年開催され、播磨屋の芸を後世に伝える場になっています。

尾上菊之助・尾上丑之助との絆

2013年2月、末の娘・波野瓔子さんが五代目尾上菊之助と結婚し、同年11月に第一子となる男児が誕生しました。
この男児は2019年5月、歌舞伎座にて七代目尾上丑之助として初舞台を踏み、吉右衛門は初孫との共演を果たしています。

晩年、闘病中の吉右衛門は自宅で孫のために書き抜き(台詞や役の型を記した控え)の整理や清書を続けていたと、義理の息子である菊之助が追悼文で明かしています。
菊之助は逝去の際、「もっと教え請いたかった」と涙ながらに岳父を偲びました。
小説『国宝』のAudibleオーディオブックでは、この菊之助が朗読を担当しており、興味のある方はこちらの記事も参考にしてください。

受賞歴・栄誉

  • 1955年 第8回毎日演劇賞演技特別賞
  • 1991年 第12回松尾芸能賞大賞
  • 1996年 第19回日本アカデミー賞優秀主演男優賞
  • 2011年 重要無形文化財保持者(人間国宝)認定
  • 2015年 第22回読売演劇大賞大賞・最優秀作品賞(国立劇場「伊賀越道中双六」)
  • 2017年 文化功労者
  • 2021年 正四位・旭日重光章(没後追贈)

2015年の読売演劇大賞は、座頭として台本の補訂・監修・主演を務めた古典の復活上演としては初の大賞受賞となりました。
2011年に人間国宝認定の報を受けたのは、実は胆管結石の手術で入院中だったというエピソードも伝えられています。

2021年の急逝と没後の動き

2021年3月、体調不良を訴え救急搬送された吉右衛門は、以後療養に専念することになりました。
7月の舞台復帰も一度は発表されましたが、6月に改めて休演が発表され、そのまま最期まで舞台に上がることは叶いませんでした。
同年11月28日、心不全のため77歳で逝去。
法名は「秀藝院釋貫四大居士」、墓所は養祖父・初代吉右衛門と同じ青山霊園です。

訃報を受け、実兄の二代目松本白鸚は主演ミュージカル「ラ・マンチャの男」の製作発表で「別れはいつでも悲しいものです。
たったひとりの弟でしたから」と胸中を語りました。
没後も、シネマ歌舞伎『熊谷陣屋』の上映や追悼特集の放送など、当たり役の数々を偲ぶ企画が各所で行われています。

まとめ|中村吉右衛門の芸と人生

二代目中村吉右衛門の魅力を振り返ると、次のようにまとめられます。

  • 実父は初代松本白鸚、養父は初代中村吉右衛門という名門に生まれた播磨屋の当主
  • 弁慶・由良之助・俊寛など、立役の当たり役を数多く持つ第一人者
  • 『鬼平犯科帳』の長谷川平蔵役で国民的な人気を獲得
  • こんぴら歌舞伎大芝居の復活、秀山祭の創設など芸の継承にも尽力
  • 義理の息子・尾上菊之助、孫・尾上丑之助へと芸の絆は続いている

2021年に77歳で逝去した中村吉右衛門ですが、その芸と精神は、秀山祭や尾上菊之助・丑之助親子の舞台を通じて、今も歌舞伎座に息づいています。

よくある質問(FAQ)

中村吉右衛門の本名は?

本名は波野辰次郎(なみの たつじろう)です。
1944年5月22日生まれ、2021年11月28日に77歳で逝去しました。

中村吉右衛門と松本白鸚はどういう関係ですか?

実の兄弟です。
二代目松本白鸚が実兄にあたり、実父は初代松本白鸚です。
吉右衛門は母方の祖父・初代中村吉右衛門の養子となり、播磨屋を継ぎました。

中村吉右衛門の当たり役は何ですか?

『勧進帳』の武蔵坊弁慶、『仮名手本忠臣蔵』の大星由良之助、『平家女護島』の俊寛僧都など、立役の大役を数多く演じました。
テレビでは『鬼平犯科帳』の長谷川平蔵役でも広く親しまれました。

中村吉右衛門と尾上菊之助はどういう関係ですか?

義理の父子です。
吉右衛門の四女が五代目尾上菊之助と結婚しており、二人の間に生まれた男児は七代目尾上丑之助として初舞台を踏んでいます。

中村吉右衛門はいつ亡くなりましたか?

2021年11月28日、心不全のため77歳で逝去しました。
同年12月24日付で正四位に叙され、旭日重光章が追贈されています。

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