歌舞伎十八番の中でも、ひときわ謎の多い演目が『七つ面(ななつめん)』です。
題名には「七つ」とありながら、江戸時代の記録に残る面はなぜか五つ。
しかも、初演とわずか2年後の再演では物語も主人公の設定も異なり、後世の復活上演でも新しい脚本が作られてきました。
決まった台本や型が伝わっていないからこそ、上演ごとに新たな姿を見せる、ミステリアスな歌舞伎十八番なのです。
その稀少演目が、2026年10月の京都・南座「市川團十郎特別公演」に登場します。
元興寺赤右衛門、実は悪七兵衛景清を勤めるのは中村虎之介。
この記事では、2026年版のあらすじと配役を入り口に、『七つ面』の初演、再演、復活の歩み、そして「五つか七つか」という最大の謎まで詳しく解説します。
歌舞伎十八番『七つ面』とは?読み方と演目の正体
『七つ面』の読み方は「ななつめん」。
天保3年(1832年)、七代目市川團十郎が制定した歌舞伎十八番の一つです。
初演は元文5年(1740年)2月、江戸の市村座。
『姿観隅田川(すがたみすみだがわ)』という芝居の中で、二代目市川海老蔵、のちの二代目市川團十郎が、面打師・元興寺赤右衛門を演じました。
ところが、『姿観隅田川』の台本は現在まで伝わっていません。
『歌舞伎年表』によると、隅田川物に清玄桜姫物をない交ぜにした内容だったとされますが、芝居全体の詳細は不明です。
初演時の最大の趣向は、舞台に並べた面箱にありました。
箱の中から次々と異なる面が現れるように見せながら、実際には海老蔵自身が箱の裏から顔を出し、鬘や眉などを変えて演じ分けていたと伝わります。
面をただ小道具として見せるのではなく、俳優の顔そのものを面に見立てた仕掛けでした。
海老蔵が宝生流の能役者のもとで能面を見せられ、そこからこの趣向を思いついたとされています。
現代的な意味での「早替わり」とまったく同じものとは断定できませんが、短い間に顔つきや人物像を変化させる面白さは、早替わりにも通じるところがあるでしょう。
俳優の変化を楽しませる、視覚的な仕掛けが中心の演目だったことがうかがえます。
歌舞伎十八番というと、成田屋の家の芸や力強い荒事を思い浮かべる人も多いはず。
しかし『七つ面』は、型も脚本もそのままの形では残らず、時代ごとに異なる物語と結びついてきました。
そのつかみどころのなさこそ、『七つ面』を特別な存在にしている理由です。
市川團十郎特別公演2026(南座)の公演概要
2026年10月3日(土)から25日(日)まで、京都・南座で「市川團十郎特別公演」が上演されます。
『七つ面』が組み込まれるのは、夜の部『Invitation to KABUKI 歌舞伎の世界』です。
正式な演目名は「歌舞伎十八番の内 七つ面」となっています。
今回、面打師・元興寺赤右衛門、実は悪七兵衛景清を演じるのは中村虎之介。
江戸時代から受け継がれてきた稀少な題材に、中村虎之介が挑みます。
近年の上演機会が限られているだけに、歌舞伎十八番を知るうえでも注目度の高い一幕です。
同公演では、昼の部で『荒事 大力天無双』や『英執着獅子』も上演されます。
各演目については、姉妹記事の『荒事 大力天無双』のあらすじ・見どころ、『英執着獅子』のあらすじ・見どころもあわせてご覧ください。
上演日程や公演全体の構成は、「市川團十郎特別公演2026(南座)」全体ガイドで紹介しています。

2026年版『七つ面』のあらすじと登場人物
壇ノ浦での平家討伐を祝うため、源範頼が宴を催しています。
その余興に招かれたのが、面打師・元興寺赤右衛門。
赤右衛門は七つの面を用いた舞を披露します。
ところが、この面打師には重大な秘密がありました。
元興寺赤右衛門の正体は、平家の生き残りである悪七兵衛景清だったのです。
面を操って宴を彩る芸人の姿と、平家方の武将という素顔。
『七つ面』という題名が、物語上の正体の隠蔽とも重なる構成です。
この2026年版の筋は、1740年の初演よりも、寛保2年(1742年)に上演された『星合栄景清』の系統を引き継ぐものにあたります。
1742年版でも、平家の残党・悪七兵衛景清が、源頼朝の命を狙うために面打師へ姿を変え、頼朝の館に現れました。
2026年の舞台では宴を催す人物が源範頼となっていますが、面打師の正体が景清であるという骨格は共通しています。
元興寺赤右衛門、実は悪七兵衛景清
表向きは、七つの面を使った舞を披露する面打師。
その正体は平家の生き残り、悪七兵衛景清です。
面を見せる芸と、素性を隠して敵方の宴に入り込むという設定が一つにつながった、物語の中心人物となります。
景清は、別の歌舞伎十八番でも重要な主人公です。
同じ悪七兵衛景清を中心に据えた作品については、『通し狂言 壽三升景清』の解説も参考にしてください。
源範頼
壇ノ浦での平家討伐を祝う宴の主催者。
余興として元興寺赤右衛門の面の舞を迎えますが、その芸人が平家の生き残りであることが、物語に緊張をもたらします。
清水義高・大姫・姉輪平次・和田義盛
2026年版には、清水義高、源頼朝息女の大姫、姉輪平次、和田義盛も登場します。
確認されているあらすじでは、各人物が舞台上でどのように関わるかという細部までは明らかにされていません。
そのため、具体的な演出や展開については実際の上演を待ちたいところです。
『七つ面』の見どころ|面の変化と景清の正体
七つの面を使う舞
第一の見どころは、題名にもなっている面です。
2026年版では、元興寺赤右衛門が宴の余興として七つの面を使った舞を披露します。
ただし、それぞれの面の種類や使い方、面を替える手順など、今回の具体的な演出は確認されていません。
それでも、『七つ面』の歴史を知っておくと、面が単なる小道具ではないことが見えてきます。
初演では、箱から面が現れたように見せながら、実際には俳優が自らの顔や鬘を変化させる趣向でした。
2016年には舞台上の箱と六つの面、さらに双面の面を結びつけた新たな演出が採用されています。
2026年の舞台が、この変化の芸をどのような形で見せるのかが大きな注目点でしょう。
面打師と景清という二重の顔
赤右衛門は面打師であると同時に、正体を隠した悪七兵衛景清でもあります。
さまざまな表情を持つ面を扱う人物自身が、別の素顔を隠しているという二重構造。
「顔を変える芸」と「身分を偽る物語」が重なり合うところに、この演目ならではの面白さがあります。
祝宴の華やかさと、潜む平家の残党
舞台となるのは、平家討伐を祝う源範頼の宴。
表面上は勝利を寿ぐ場ですが、その中には平家の生き残りである景清が紛れ込んでいます。
舞が披露される華やかな空気と、正体が明らかになる物語上の緊張感。
この対照も見逃せません。
なお、2026年版で俳優がどこから登場し、舞台や花道をどのように用いるかは確認されていません。
具体的な動線を事前に決めつけず、本番で明らかになる演出を楽しむのがおすすめです。
『七つ面』の複雑な上演史|初演から現代まで
1740年の初演――吉田少将の館に現れる面打師
元文5年(1740年)の『姿観隅田川』では、吉田少将の館が舞台でした。
二代目市川海老蔵が演じる面打師・元興寺赤右衛門は、実は粟津六郎。
浅葱頭巾に侍烏帽子、素襖という姿で現れ、桜の枝を手に腰元たちと戯れます。
舞台上手には、面を収めた箱が五つ。
吉田少将が側室の班女に見せる箱を開けると「尉(じょう)」の面が現れ、妻の桜姫に見せる箱からは「塩吹(しおふき)」の面が出てきます。
続いて「般若」「姥(うば)」、最後に口を開けた「武悪(ぶあく)」の面が登場しました。
その後、吉田家の家老・久米平内左衛門と、勅使の太宰の熊主という二人の悪人が密談を始めます。
二人が取り出したのは、盗み出した吉田家の重宝「都鳥の一巻」。
人が来る気配に気づき、慌てて巻物を隠そうとした瞬間、武悪の面が巻物をくわえて奪い取ります。
すると箱の蓋が閉じ、開かなくなってしまうという展開でした。
ここで使われた五つの面は、作り物の面ではなかったと伝わります。
海老蔵が面箱の裏から顔を出し、鬘や眉などを変えることで、尉、塩吹、般若、姥、武悪を七変化のように演じ分けていたのです。
面箱と俳優の変化を組み合わせた、初演ならではの仕掛けでした。
1742年の再演――面打師に化けた悪七兵衛景清
寛保2年(1742年)、二代目海老蔵は大坂で再び『七つ面』を演じました。
ただし、作品は『星合栄景清(ほしあいさかえかげきよ)』という芝居の最後の幕。
物語も1740年の初演とは大きく異なります。
主人公は平家の残党・悪七兵衛景清。
源頼朝の命を狙うため、面打師に化けて頼朝の館へ現れるという筋でした。
初演では元興寺赤右衛門の正体が粟津六郎だったのに対し、再演では景清へ変更されたことになります。
2026年南座版につながっているのは、こちらの系統です。
最大の謎――なぜ五つの面なのに『七つ面』なのか
『七つ面』の歴史で最も興味深いのが、題名と面の数が一致しないことです。
1740年と1742年、どちらの上演記録を見ても、登場する面は尉、塩吹、般若、姥、武悪の五つだけ。
1742年の役者評『役者和歌水』にも「七面」とありますが、やはり確認できる面は五つです。
なぜ五つの面が「七つ面」と呼ばれたのか、その事情はわかっていません。
失われた台本に答えが書かれていたのか、記録されなかった別の趣向があったのかについても、確認できる事実はなし。
歌舞伎十八番の制定以降は、『七つ面』という外題で通用するようになりました。
これは欠点ではなく、作品の想像力を刺激する魅力といえるでしょう。
題名には七つ、記録には五つ。
その埋まらない二つ分の空白が、『七つ面』を今なお謎めいた作品として印象づけています。
七代目團十郎による十八番選定と上演の空白
天保3年(1832年)、七代目市川團十郎は『七つ面』を歌舞伎十八番に選定しました。
しかし、その時点ですでに上演は絶えていたとされます。
ほかの十八番物と同じく、その後も長い間、舞台で演じられない時期が続きました。
台本や型が伝わらなかった『七つ面』は、『象引』『関羽』『不破』『嫐』『蛇柳』などと同様、再演するたびに脚本を新たに作る必要がある演目です。
歌舞伎十八番でありながら、固定された決定版が存在しないことになります。
同じく近年の上演がまれな十八番物については、『鎌髭』の解説もあわせて読むと、復活上演される演目の奥深さが見えてきます。
1893年の『新七つ面』
明治26年(1893年)、九代目市川團十郎は歌舞伎座で『新七つ面』を上演しました。
福地桜痴が脚本を手がけた、新歌舞伎十八番の一つです。
主人公は豊臣秀吉の家来、曽呂利新左衛門。
七つの面を使って所作事を見せる内容で、江戸時代の『七つ面』とは異なる新作として生まれました。
この『新七つ面』は、のちに七代目松本幸四郎も演じています。
歌舞伎十八番と新歌舞伎十八番に、それぞれ『七つ面』と『新七つ面』が存在する点には注意が必要です。
1936年と1983年――異なる古記録からの復活
昭和11年(1936年)、五代目市川三升が歌舞伎座で、歌舞伎十八番の内として『七つ面』を上演しました。
この舞台は、『中古戯場説』などに記された1740年の記録を参考に脚色したものです。
一方、昭和58年(1983年)に国立劇場で二代目尾上松緑が演じた『七つ面』は、1742年の『星合栄景清』に基づく脚色でした。
同じ題名であっても、一方は吉田少将の館を舞台とした初演系、もう一方は景清を主人公とする再演系。
作品の二つの系譜が、昭和の復活にも表れています。
このほか、初代市川右團次や三代目市川猿之助も『七つ面』を手がけました。
一つの固定された型を繰り返すのではなく、残された記録を手がかりに、その時代の俳優が作品を組み立て直してきた歴史なのです。
2016年、市川海老蔵による新たな『七つ面』
平成28年(2016年)1月、新橋演舞場の「初春花形歌舞伎」で、十一代目市川海老蔵、現在の十三代目市川團十郎が『七つ面』を上演しました。
海老蔵自身が改良を加え、元興寺赤右衛門を勤めた舞台です。
舞台に置かれた箱は七つで、そのうち六つは空。
空いていない一つの箱を赤右衛門が最初に開けると、そこにあったのは七つ面の神体である「双面(ふたおもて)」の面でした。
海老蔵は、開いていた六つの面をすべて用いて舞っています。
この公演と連動して、テレビアニメ「名探偵コナン」の放送20周年記念スペシャル「コナンと海老蔵 歌舞伎十八番ミステリー」も制作されました。
前編は2016年1月9日、後編は1月16日に放送。
舞台で使われる双面の面は、アニメでは「二表の面(におもてのめん)」と名を改められ、その面が盗まれる事件を軸に物語が展開しました。
海老蔵も、本人役として声の出演をしています。
2026年南座『七つ面』の配役
2026年10月、南座「市川團十郎特別公演」での『七つ面』の配役は次のとおりです。
| 役名 | 出演 |
|---|---|
| 元興寺赤右衛門 実は悪七兵衛景清 | 中村虎之介 |
| 清水義高 | 大谷廣松 |
| 姉輪平次 | 坂東鷹之資 |
| 源頼朝息女 大姫 | 中村玉太郎 |
| 和田義盛 | 市川九團次 |
| 源範頼 | 河原崎権十郎 |
中心となるのは、元興寺赤右衛門と悪七兵衛景清の二つの顔を担う中村虎之介。
面を使った舞と、正体を隠して宴に入り込んだ平家の残党という設定を、どのように一役の中で見せるのか。
今回の上演で最も注目したいポイントです。
よくある質問(FAQ)
- 『七つ面』は何と読みますか?
-
「ななつめん」と読みます。
七代目市川團十郎が選定した歌舞伎十八番の一つです。 - 『七つ面』が初演されたのはいつですか?
-
元文5年(1740年)2月、江戸・市村座で初演されました。
『姿観隅田川』の中で、二代目市川海老蔵、のちの二代目市川團十郎が面打師・元興寺赤右衛門を演じています。 - なぜ『七つ面』なのに、記録上の面は五つなのですか?
-
理由はわかっていません。
1740年と1742年の記録に登場するのは、尉、塩吹、般若、姥、武悪の五つです。
題名との数が一致しない事情は不明であり、『七つ面』に残された大きな謎となっています。 - 元興寺赤右衛門の正体は誰ですか?
-
上演された時代や脚本によって異なります。
1740年の初演では粟津六郎、1742年の『星合栄景清』では悪七兵衛景清でした。
2026年南座版の正体は、平家の生き残りである悪七兵衛景清です。 - 『七つ面』と『新七つ面』は同じ作品ですか?
-
同じ作品ではありません。
『七つ面』は歌舞伎十八番ですが、1893年初演の『新七つ面』は福地桜痴が脚本を書いた新歌舞伎十八番の一つ。
『新七つ面』では、豊臣秀吉の家来・曽呂利新左衛門が七つの面を用いて所作事を見せます。 - 2026年南座の『七つ面』で主役を演じるのは誰ですか?
-
中村虎之介です。
面打師・元興寺赤右衛門、実は悪七兵衛景清を演じます。
公演期間は2026年10月3日(土)から25日(日)までで、夜の部『Invitation to KABUKI 歌舞伎の世界』の演目として上演されます。
歌舞伎が初めての方へ
歌舞伎自体が初めてだと「どう観ればいいの?」と迷うこともあるかもしれません。
歌舞伎には独特の約束ごとや表現がありますが、基本を少し知っておくだけで、面白さがぐっと伝わりやすくなります。
歌舞伎とは?初心者向けにわかりやすく解説

まとめ|『七つ面』は上演のたびに生まれ変わる歌舞伎十八番
『七つ面』は、元文5年(1740年)に二代目市川海老蔵が初演し、のちに七代目市川團十郎が歌舞伎十八番へ選定した演目です。
初演では吉田少将の館を舞台に元興寺赤右衛門、実は粟津六郎が登場し、1742年の再演では悪七兵衛景清が面打師に化ける物語へと変化しました。
さらに明治の『新七つ面』、昭和の二つの系統による復活、2016年の市川海老蔵による改良版と、上演のたびに新しい形が生まれています。
台本や型が伝わっていないことは、作品の全貌をわかりにくくする一方で、新たな創作を受け入れる余白にもなってきました。
そして、記録にある面は五つなのに、外題はなぜか『七つ面』。
答えが失われたままの謎も、この演目を忘れがたいものにしています。
2026年南座版は、1742年の『星合栄景清』につながる景清の物語。
中村虎之介が勤める元興寺赤右衛門の舞と、その裏に隠された素顔に注目です。
時代物をもっと楽しむために
入り組んだ人間関係やお家騒動の流れは、図解やマンガで一度おさえておくと観劇がぐっと楽になります。
予習にも復習にも使える二冊です。
[改訂新版]マンガで教養 やさしい歌舞伎鑑賞
歌舞伎の歴史や約束事、舞台の見方をマンガとイラストで解説した入門書です。
初めての観劇前の予習にちょうどよい一冊です。
最新版 歌舞伎の解剖図鑑
代表的な演目のあらすじや見どころを、豊富なイラストで紹介した図鑑です。
次に観る作品を選びたいときにも役立ちます。
🎭 観劇のおともに【PR】
※本セクションには広告(Amazonアソシエイト)リンクを含みます。
- 観劇用オペラグラスをAmazonで探す — 3階席・幕見席なら必携。役者の表情や衣装の細部まで楽しめます
- 歌舞伎の入門書おすすめ5選を見る — あらすじや約束事を予習しておくと当日の楽しさが段違いです
- Amazonプライム(30日間無料体験) — お急ぎ便が使い放題、Prime VideoやPrime Readingもまとめて使えます
歌舞伎の入門書・解説本も読み放題対象多数。観劇前の予習に
映画・ドラマ・アニメが見放題。まずは30日間の無料体験から

